伝記
アガトーンは、古代ギリシアの悲劇詩人である。紀元前448年ごろに生まれ、紀元前400年に没したとされ、長母音を省いてアガトンとも表記される。アテナイの人で、ティサメノスの子といわれる。作品はほとんど失われたが、プラトンの『饗宴』やアリストパネスの喜劇に登場する人物として名高い。
『饗宴』の舞台は、アガトーンが紀元前416年にレナイア祭で最初の悲劇の優勝を果たしたことを祝う宴である。彼はエウリピデスやプラトンの友人であったともいう。また『饗宴』と『プロタゴラス』に登場するパウサニアスの恋人で、その関係は10年から15年に及んだとされる。のちにアガトーンはパウサニアスとともに、劇作家を募っていたマケドニア王アルケラオス1世の宮廷へ移った。移ったのは紀元前407年ごろとされ、おそらくそこで亡くなったと考えられている。没年は紀元前401年ごろともいわれる。エウリピデスもまた、アルケラオスの宮廷に招かれた一人であった。アガトーンはギリシア演劇にいくつかの革新をもたらした。アリストテレスが『詩学』で伝えるところでは、当時の悲劇は神話や歴史から題材を取るのが普通だったが、『アントス』(「花」の意)の人物と筋は全くの創作だった。また、筋とは関係のないコロスの歌を劇に任意に挿入した最初の劇作家でもあるという。現在知られている作品は、『アエロペ』『アルクメオン』『アントス』『ミュシア人』『テレポス』『テュエステス』の6つの題名と、31の断片だけである。
プラトンは『饗宴』で、アガトーンを身なりが良く、洗練された作法を身につけた美青年として描く。アテナイの流行と富と知恵に言い寄られる存在であり、客をもてなす物腰も気品に満ちている。エロース讃美の演説は美しいが技巧的な言い回しに満ち、ソクラテスにゴルギアスの演説とよく似ていると指摘されるため、ゴルギアスの弟子だったのではないかと考える研究者もいる。その美貌はさまざまな資料で繰り返し語られ、「美しきアガトーン」はほとんど決まり文句になったという。
一方、『饗宴』ではアリストパネスの友人とされるものの、アリストパネスは喜劇『女だけの祭』と、失われた『ゲリュタデス』でアガトーンを厳しく批判した。『女だけの祭』には本人も登場し、青白く髭を剃り、女物の衣装をまとった若者として描かれる。どこまで事実で、どこまでが喜劇の創作かは研究者にも分かっていない。この衣装は、紀元前5世紀初めの壺絵に描かれた抒情詩人アナクレオンの装いにほぼ等しく、アガトーンは古い詩人に張り合う気持ちでその豪華な服装をまねたのではないかという説もある。後の喜劇『蛙』では批判がやわらぎ、ディオニュソスが彼を「良い詩人」と呼ぶが、それも名前の語呂合わせのためかもしれないとされる。
アガトーンを詠んだ恋愛の短詩が、プラトンの作として伝わっている。「アガトーンに口づけたとき、わが魂は唇の上にあった。哀れな魂は、彼のもとへ渡ろうとして来たのだ」という内容である。しかしこの詩はプラトンの作ではなさそうだとされる。形式がヘレニズム期の恋愛詩のもので、そうした詩が流行したのは紀元前300年より後だからである。二十世紀の研究者ワルター・ルートヴィヒによれば、こうした詩がプラトンの初期の伝記に紛れ込んだのは紀元前250年から100年のあいだとされ、プラトンはアガトーンより約20歳若く、そのような詩を書いたとは考えにくい。
同じ年に亡くなった人物
- Metrodorus of Chios (紀元前400)
- ヘルモクラテス (紀元前400年代没)
- Lastheneia of Mantinea (紀元前400)
- Pamphilus of Amphipolis (紀元前400)
- エウブリデス (紀元前 400年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Pamphilus of Amphipolis (紀元前400)
- パウサニアス (マケドニア王) (紀元前393年没)
- ティウディミール (470年代没)
- アンドロニコス・パレオロゴス (テッサロニキ専制公) (1429年没)
- アンナ・ディ・サヴォイア (東ローマ皇后) (1365年没)