伝記
ナスタセンは、紀元前335年から紀元前315年または310年ごろまでクシュ王国を治めた王である。クシュ王国の歴代王の系列では第27代にあたるとされ、ナパタを都とした時代の王だった。母は王妃ペルカで、父はハルシオテフ王だったとみられている。即位の際には王名アンクカーラー(「ラーは真理の力」の意)を受け、ホルス名としては「ナパタに現れた九柱神の偉大な雄牛」を意味する名を持った。兄とされるアクラテンの跡を継いだ王で、後継者はアリャマニとされるが、アクティサネスという名で伝わる説もある。
ナスタセンの事績は、三種類の遺物から知られる。ひとつは長い歴史的な銘文をもつ石碑、もうひとつは銀製の鏡の柄、そして数点のシャブティ像である。花崗岩の石碑は新ドンゴラで見つかり、現在はベルリンの博物館に収められている。もとはジェベル・バルカルのアメン神殿に立てられていたとみられる。碑の上部には王の傍らに、母ペルカと妻セクマクの姿と名が刻まれている。
この碑文によれば、ナスタセンの治世にクシュは上エジプトからの侵攻を受けた。侵略軍の指導者は「カンバスーテン」と記されており、これは紀元前338年ごろにペルシアと戦った上エジプトの在地の支配者ハバシュの、クシュ側での呼び名と考えられている。この侵攻は失敗に終わり、ナスタセンは勝利によって多くの立派な舟とその他の戦利品を得たと誇っている。
ナスタセンの墓はヌリの第15号ピラミッド(Nu 15)の下にあり、鏡の柄とシャブティ像もここで見つかった。妻セクマクは同じ墓地の56号ピラミッドに葬られた。ナスタセンは、ナパタの王家の墓地に埋葬された最後のクシュ王である。
1913年に最初の発掘が試みられたが、墓室が水没していたため、ナスタセンの墓であることを確かめるシャブティ像を一つ見つけただけで作業は打ち切られた。ナイル川の水に浸かっていたおかげで、墓は盗掘を免れたと考えられている。床には金がそのまま残されていたという。近年は考古学者ピアース・ポール・クリースマンの調査隊が、水中考古学の手法でこの墓の発掘を進める計画を立てている。2023年にはテレビ番組の撮影で潜水調査が行われ、金箔や、金のつま先覆いに入った骨片が見つかった。骨片はナスタセンのものと推定されている。ナショナルジオグラフィックが制作した「ナイルの水没墓」という連続番組でも、第1話でこの墓の発掘が取り上げられた。
同じ年に亡くなった人物
- アレクサンドロス4世 (紀元前309年没)
- 張儀 (紀元前309年没)
- 恵施 (紀元前 309年)
- バルシネ (紀元前309年没)
- ニカノル (太守) (紀元前 309年)
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