伝記
エルベール3世は、10世紀の西フランク王国のオモワ伯である。「老人」と呼ばれ、910年の生まれとされるが、910年から928年のあいだともいわれる。没年も980年から985年のあいだとされる。ヴェルマンドワ伯エルベール2世と、西フランク王ロベール1世の娘アデルとのあいだの息子で、エルベール2世の次男にあたる。同名の甥であるヴェルマンドワ伯エルベール3世としばしば混同されるが、別の人物である。
938年、エルベール3世は父とともに、西フランク王ルイ4世との戦いに加わった。ルイ4世は936年に即位した国王で、その即位には父の支持が大きかった。父は母方の叔父にあたるフランク公ユーグ大公と結び、939年には一時、ドイツ王オットー1世とも手を組んだ。940年に二人はランスを占領し、ランスでは父が息子のユーグを司教として聖別させることができた。さらにラオンを包囲し、アルデンヌでルイ4世を破って、王をブルゴーニュ公のもとへ逃れさせたという。
943年2月23日に父エルベール2世が没すると、ユーグ大公の主導のもとで、所領は兄弟に分けられた。エルベール3世はオモワ伯領とシャトー=ティエリの要塞、それにソワソンのサン=メダール修道院を受け継いだ。ヴェルマンドワ伯領は兄弟のアルベール、ソワソン伯領はギー、モー伯領はロベールにそれぞれ渡った。952年には、ロベールとともに叔父ユーグ大公を支えて、マルヌ川流域の防備を固めた。967年に兄弟のロベールが没すると、モーからエペルネにいたるマルヌ川流域を押さえるようになったとされる。
951年、エルベール3世はイングランド王エドワード長兄王の娘で、西フランク王シャルル3世の未亡人であるエドギフ・オブ・ウェセックスと結婚した。晩年に彼女を連れ去って結婚したともいう。エドギフの息子であるルイ4世は、この結婚を知るとただちに怒り、同じ年のうちに、母が女子修道院長を務めていたラオンのノートルダム修道院を取り上げ、自分の妃ゲルベルガに与えた。夫婦に子はなく、子孫は知られていない。エドギフは953年ごろに没したとされる。
ルイ4世が954年に没し、子のロテールが王位につくと、エルベール3世はこの王に忠実に仕えた。ロテールは彼を宮中伯とし、オットー家の勢力に対抗して王に近づいた彼には、ランス伯領も与えられたらしい。王の文書には「宮中伯」の称号で記されている。984年の書簡には、トロワ伯の称号で名が見える。没年は980年から985年のあいだとされるが、年代記は989年にラニーで没し、そこに葬られたと伝えている。死後、ロテールはその所領を二人の甥、ブロワ伯ウード1世と、モー伯およびトロワ伯のエルベールとのあいだで分けた。
同じ年に亡くなった人物
- ヤロポルク1世 (980年没)
- ソルヴァルド・アスヴァルズソン (980年)
- ユーディト・フォン・バイエルン (925-985) (980年代没)
- アブー・ウッ=ハサン・アッ=ウクリーディスィー (980年)
- マティルド・ド・フランス (980年代没)
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