HISTORICAL PERSON · 1000年没

ボゴミル

10世紀のブルガリアの司祭で、ボゴミル派の起源に結びつく人物。ブルガリア王ペトル1世の治世に説教を始めたと伝わり、カトリックと正教会の双方から異端の首謀者とされた。名は「神に愛される者」の意。

生涯
1000年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ボゴミルは、10世紀のブルガリアの司祭で、ボゴミル派(ボゴミリズム)の起源に結びつけられる人物である。名はスラヴ語で「神」を意味するボグと「愛しい」を意味するミルからなり、「神に愛された者」を表す。ギリシア語の「神の友」にあたる語の訳とも説明される。カトリック教会と正教会の双方から、異端の首唱者と宣告された。生没年は明らかでなく、没年は1000年ごろとされる。

その生涯は謎に包まれており、知られていることはわずかで、それも彼を論駁するために書かれた説教から得られたものである。ブルガリアの司祭コスマスの著作によれば、ボゴミルはブルガリア皇帝ペタル1世の治世(927年〜969年)に、国内で自らの教えを説き始めた。このことから、コスマスの著作が書かれたのは969年より後と考えられる。コスマスは、ボゴミルの名は「神に愛された者」を意味するのだから悪魔的であり、本来は「神に敵対する者」と名づけられるべきだったと述べている。ボゴミルは、ペタル1世やリラの聖イヴァンと同時代の人とされる。

教えはパウロ派の流れをくみ、国家も教会もサタンの創造物だと説いたとされる。活動の場はトラキアとマケドニアだったとされ、二元論的な教義はパウロ派やマニ教との類似を示す。そのため、民衆が皇帝や貴族、高位の聖職者に抱いていた不満が、この人物の周りに結集したといわれる。イタリア語の記述では、運動は10世紀の第3十年ごろにブルガリアで起こり、10〜11世紀に最盛期を迎えた。背景には、聖職売買や聖職者の妻帯・内縁、不品行など、教会の道徳的な方向に対する世間の不満があったとされる。

ボゴミルと、同じころのブルガリアの聖職者・著述家エレミヤとの関係は定かでない。エレミヤを異端の着想者とする見方も、反対者とする見方もあり、同一人物かもしれないとさえいわれる。エレミヤが「ボゴミルの子(弟子)」だったという記述は、後から挿入されたものかもしれない。ボゴミルの名は『ボリルの書』にも見える。その実在は十分に証明されているわけではないが、だからといってボゴミル派の信仰が存在しなかったことにはならない。ブルガリアにはボゴミルの名を冠した村があり、南極のサウス・シェトランド諸島のラギッド島にも、その名がついたボゴミル入り江がある。

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