HISTORICAL PERSON · 紀元前295年没

ネオプトレモス2世

エピロス王。従兄弟の子ピュロスを追って即位したが悪政で信望を失い、共同統治から対立に転じてピュロス暗殺を企てたところ逆に晩餐で殺害された。

生涯
紀元前295年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ネオプトレモス2世は、エピロスの王である。生年は不明だが紀元前335年ごろの生まれとされ、紀元前295年ごろに没した。アイアコス家の出身で、父はエピロス王アレクサンドロス1世、母はマケドニア王ピリッポス2世の娘でアレクサンドロス大王の姉妹にあたるクレオパトラである。祖父はネオプトレモス1世で、父アレクサンドロス1世はもとは大叔父アリュッバスが追われたのちに王位に就けられたと伝えられる。

父がルカニア人のもとで死ぬと、ネオプトレモスはおそらく幼いうちに王となり、母クレオパトラが摂政を務めた。しかし2年ほどのちに、大叔父のアリュッバスによって王位から退けられた。アリュッバスはまもなく没し、継承は彼の家系に移った。紀元前317年、アリュッバスの子アイアキデスが王位を追われると、ネオプトレモスはふたたび王となった。紀元前313年にはアイアキデスが短期間王位を取り戻したが、まもなく殺された。それでも王位はネオプトレモスには戻らず、アイアキデスの兄にあたるアルケタス2世のものとなった。アルケタス2世はほどなくカッサンドロスと結んだ。やがて民衆の蜂起がおこり、アイアキデスの子ピュロスが王位に就いたとされる。

紀元前302年、ピュロスが不在の間に新たな蜂起がおこり、ピュロスは王位を追われた。デメトリオスがギリシアを離れてアジアでの戦いに向かった時期で、エピロス人はこれに乗じたという。カッサンドロスの支持を受けて、ネオプトレモスが三度目の王位に登った。しかし政治は苛烈で、悪政のために民の信望を失った。支えとなっていたカッサンドロスが死ぬと、有力な後ろ盾も失った。

紀元前297年ごろ、ピュロスはエジプトのプトレマイオス1世から与えられた軍を率いて帰国した。ネオプトレモスはこれに折れ、二人は王権を分かち合う共同統治に同意した。しかし両者の関係は緊張をはらみ、のちに対立した。ネオプトレモスはピュロスを殺す陰謀を進めたとされる。プルタルコスによれば、ネオプトレモスの給仕ミュルティロスがその企てを知ってピュロスに伝えた。別の伝えでは、ネオプトレモスが妹カドメイアに語った毒殺の計画を、ファイナレテという女が聞きつけ、アンティゴネを通じてピュロスの耳に入ったともいう。先手を打ったピュロスは、宗教的な祭儀に伴う宴にネオプトレモスを招き、その席で殺させた。紀元前295年ごろのこととされる。

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