HISTORICAL PERSON · 紀元前290年代没

メナンドロス (作家)

アテナイの富裕な名門に生まれ、新喜劇を代表する喜劇作家。叔父は喜劇作家アレクシス。生涯に数百点の喜劇を著してレナイア祭で7回受賞し、プトレマイオス1世の招きを断った。多くの諺を生んだ。

生涯
紀元前290年代没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / Freattyda)
出生地
アテナイ(Kephisia)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

メナンドロスは、古代ギリシア(ヘレニズム期)の喜劇作家で、「新喜劇」と呼ばれる作品群を代表する作者である。紀元前342年ごろに生まれ、紀元前292年か紀元前291年ごろに没したとされる。生没年は、およそ紀元前342年または341年から紀元前290年ごろともいわれる。

アテナイの裕福な名門の生まれで、父ディオペイテスは、トラキアのケルソネソスの総督を務めた将軍と同一人物とする説がある。叔父は喜劇作家アレクシスで、喜劇への嗜好はこの叔父から受けたと考えられる。哲学者テオプラストスの友人・同僚で、ときには弟子でもあったとされ、アテナイの独裁者ファレロンのデメトリオスとも親しかった。エジプト王プトレマイオス1世の後援も受け、王は彼を宮廷に招こうとしたが、彼はピレウスの別荘での自由な暮らしと愛人グリュケラとの生活を選んで断ったという。

生涯に数百点とも108編ともいわれる喜劇を書き、レナイア祭で賞を得たのは7回とも8回ともされる。ディオニュシア祭での記録ははっきりしない。作劇上のライバルはピレモンで、グリュケラの愛を競った相手ともいわれ、当時はピレモンのほうが人気があったらしい。それでもメナンドロスは自分のほうが優れた劇作家だと信じ、ゲッリウスによれば、私より名声を得て恥ずかしくないのかと問いかけたという。また、彼の作品がアンティパネスの作品の剽窃だとして有罪とされたという話もあるが、こうした主題の変形は当時ありふれたもので、嫌疑は根拠が薄いと考えられている。最期は、オウィディウスの詩の注釈者によれば、入浴中に溺れ死んだとされ、地元の人々はアテナイへ通じる道に墓をつくって讃えた。この墓は二世紀の地理学者パウサニアスも記している。

彼はエウリピデスを崇拝して模倣し、日常生活の鋭い観察、感情の分析、道徳的な格言を好む点で似ていた。「友のものは皆のもの」「神々が愛する人は若くして死ぬ」「悪い付き合いは良い習慣を駄目にする」など、多くが諺となり、最後の言葉は新約聖書のコリントの信徒への手紙一に引用されている。ローマ時代にはテレンティウスやプラウトゥスらが作品を翻案し、プルタルコスやクインティリアヌスも彼を賞賛した。初期の作品「酔い」に残る、政治家を槍玉に挙げた台詞は長く記憶され、彼の胸像も多く残る。格言は集められて、学校で使う道徳書「メナンドロスの一行格言」にもなった。完全な形の作品がいつまで存在したかは分からないが、11世紀のコンスタンティノープルでは23作品が見られたという。ただ、作品はやがて忘れられ、19世紀の終わりまでは、ほかの著者が引用した断片しか知られていなかった。

状況は1907年に一変する。カイロで見つかった古写本に「サモスの女」の大部分や「髪を切られる女」などが含まれていたのである。1959年に公刊されたボドマー・パピルスには、完全な形に近い「気むずかし屋」も含まれ、上演に耐えるほどだった。ミイラの棺の充填材にされたパピルスからの発見も続く。現存する作品には、そのほか「辻裁判」や「シキュオン人」などがある。今も欠落のない本文は存在せず、多くの作品は男女の結婚で大団円を迎える。

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