HISTORICAL PERSON · 紀元前283年没

カウティリヤ

古代インドの宰相・経済学者・政治家で、チャーナキヤとも呼ばれる。チャンドラグプタを援けてナンダ朝を倒しマウリヤ朝建国の礎となった。『実利論』を著したと伝わり、「インドのマキャヴェリ」と評される。

生涯
紀元前283年没
死亡地
インド(ビハール州 / パトナ)
出生地
パキスタン共和国(タキシラ)
出典
世界地図
インド(ビハール州)

伝記

カウティリヤは、古代インドの宰相であり、経済学者、政治家である。名はチャーナキヤ、あるいはヴィシュヌグプタとも伝わり、紀元前350年ごろから紀元前283年ごろの人とされる。マガダ国のマウリヤ朝は、インドで最初の本格的な統一王朝であり、その初代の王チャンドラグプタによる建国の礎を築いたと伝わる。チャンドラグプタを助けてナンダ朝を倒した権謀術数の人として知られ、近現代には「インドのマキャヴェリ」とも評されてきた。

記録の乏しい人物で、生涯について知られることの大半は半ば伝説的な物語に由来する。確かなのは、彼がバラモンの出身で、若い頃に大学で経済学などを学んだとされる点である。名前の由来については、チャーナキヤは「チャニンの子」を意味し、チャナは「ひよこ豆」の意だとされる。タキシラの大学で教官を務めたとも伝わる。古い伝説には、仏教の伝承、ジャイナ教の伝承、カシミールの伝承、そして戯曲『ムドラー・ラークシャサ』が描く物語の四つの系統がある。これらの物語はいずれも、彼がナンダ王に侮辱されて王の破滅を誓い、ナンダ朝を倒したのちにチャンドラグプタを新王に据えたという筋で共通している。ただし戯曲の内容には他の伝承にない話が多く、研究者のトラウトマンは、その大部分が虚構か伝説であって歴史的な根拠はないと見ている。

彼はナンダ朝の最後の王ダナナンダの大臣だったとも考えられ、王と不和になったのち、簒奪者チャンドラグプタの即位を後押ししたという筋で語られる。紀元前324年ごろには、インド北西部におけるチャンドラグプタの挙兵に大きく関わったとされる。ふたりはガンジス川中流域へ侵攻し、ナンダ朝の首都パータリプトラを占領して国王ダナナンダを殺害し、ナンダ朝を滅ぼしてマウリヤ朝を建国した。王朝の草創期にも政治顧問を務め、事実上の宰相となった。チャンドラグプタの死後は、その息子で後継者のビンドゥサーラ王のもとでも補佐を続けたとされる。

彼が著したと伝わるのが、サンスクリット語の政治論『実利論』(アルタシャーストラ)、なかでも代表的な「カウティリヤ実利論」である。古代の文献は、この書の著者をヴィシュヌグプタおよびカウティリヤと呼ぶ。カウティリヤは「偽り、狡猾、権謀」を意味する語でもあり、これらの呼び名は、好意的な呼称と否定的な呼称の両方としてチャーナキヤに当てられたものとされる。書の特色は、国家の理想像を、倫理や法から離れて効用の観点から描いた点にある。誘惑や武器の秘密の使用、毒による政治的利益の獲得といった手段を示し、暗殺への用心として食事の毒見も勧めた。国境を接する国は自然の敵で、その隣国は自然の味方だとする考えのもと、王を中心とする国々の輪を政治の目標に置いたともされる。想定された経済体制は中央集権的で専制的であり、個人には強い懐疑を向けていた。彼は経済学を学問として開いた先駆者ともされ、イブン・ハルドゥーンより約千年前にこの主題を論じたと言われる。政治にはサプタ・アンガの枠組みを適用し、格言も豊富に含まれている。

この書は冷徹な政治論として名高く、マックス・ヴェーバーは、マキアヴェッリの『君主論』などたわいのないものだと評して、彼を再評価した。同時に、当時のマウリヤ朝やインド社会を知るための貴重な資料でもある。日本では1944年に翻訳が出て、1984年には岩波文庫に収められた。

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