伝記
スィジズィー(アブー・サイード・アフマド・イブン・ムハンマド・イブン・アブド・アルジャリール・アル・スィジズィー)は、945年ごろに生まれ、1020年ごろに没したとされるイランのイスラーム世界の天文学者・数学者・占星術師である。アル・スィンジャーリー、アル・スィジャーズィーの名でも知られ、「スィジズィー」は「スィジスターニー」の短縮形で、東イランのスィースターン地方の出身を示す。生年は951年とする説があり、没年も1024年や1025年とする説があって、一定しない。多くの科学史家は1024年没とみなしているという。
天文学が主な活動の場だった。文献に通じており、それを活用したとされる。ブワイフ朝の君主アドゥド・アッダウラに著作を捧げ、おそらくその庇護を受けていた。バルフの君主にも作品を捧げている。シーラーズでは969年から970年にかけて天文観測を行い、同時代のビールーニーは、970年にシーラーズで行われたアドゥド・アッダウラの観測に参加した天文学者の一人として彼を挙げている。ビールーニーとは書簡を交わしたことでも知られる。
数学では、円錐曲線と円の交点を研究した。角の三等分について、従来の運動学的な方法に代えて、円と直角双曲線の交点を用いる純粋に幾何学的な解法を示した。幾何学には特に関心を持ち、問答の形をとる著作も多く、エウクレイデスの議論やアルキメデスの著作にまつわる問いにも取り組んだ。著作は40を超える書物や論考にのぼるとされ、天文学の15の論考を集めた『シャーヒーの集成』や、算術の諸分野を扱う『百章』などがある。
もっとも注目されるのは、10世紀に地球が自転すると唱えたことである。ビールーニーによれば、スィジズィーは地球の自転という考えに基づく「ズーラキー」というアストロラーベを考案した。ビールーニーは『マスウード典範』でも、地球の自転説を擁護した著名な天文学者として彼に言及している。13世紀の文献には、幾何学者(技術者)たちが、地球は絶えず円運動をしており、天の動きに見えるものは星ではなく地球の動きによると考えていたとする記述があり、そうした考えをもつ人々がいたことを裏づけている。
同じ年に亡くなった人物
- 清少納言 (1020年代没)
- ソルフィン・ソルザルソン (1020年)
- オースタ・グドブランズドーテル (1020年没)
- アルキテクトのトルダト (1020年没)
- アデライード (ヴェルマンドワ女伯) (1020年代没)
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