伝記
レクミラ(名は「ラーのように賢い者」の意)は、古代エジプト第18王朝の貴族で高官である。「町の統治者」すなわちテーベの市長を務め、のちに宰相(ヴィジール)となって、トトメス3世とアメンホテプ2世の二人の王に仕えた。活動した時期は紀元前1400年ごろとされる。宰相としての在任は、トトメス3世の治世の終わり近く、在位28年から32年のあいだに始まり、アメンホテプ2世の初期の数年にも続いたという。ヘリオポリス(アンヌ)の大司祭でもあった。
出自は、権力の中枢に近い名門のテーベの一族である。父は宰相ネフェルウベン、母はベトで、祖父アフメス・アメトゥと叔父ウセルアモンもまた宰相や町の統治者を務めた。ウセルアモンは、女王ハトシェプスト治世の5年に就任した人物で、都市の市長、宰相、王子といった称号を持った。一族は文官の職と神官の職を兼ねる者が多かったとされる。レクミラは妻メリト(「愛される者」の意)とのあいだに数人の娘と一人の息子をもうけた。後任の宰相にはアメネモペトが就いた。
名を今に伝えるのは、自らのために築いた壮麗な墓、テーベ墓100号(TT100)である。テーベ西岸のシェイク・アブド・エル・クルナにあり、ルクソールの対岸に位置する。岩を掘った礼拝堂で、奥行きは約25メートル、前庭を持つ。広間は幅20メートルで、そこから上り坂の通路が主室へ続く。この墓は礼拝堂のみで埋葬室を欠き、実際の墓所は別の場所にあるとみられる。装飾の保存状態は良く、この時代の美術を知る重要な資料である。死後まもなく一部の壁画が壊され、アマルナ時代にもさらに壊されたという。
墓の壁面は、宰相という官職が制度のなかで担った役割を具体的に伝える。「宰相の任命」と「宰相の職務」という、宰相職の根幹をなす二つの文書の全文が写されており、エジプトの行政を知る主要な文献として、他の墓にも同じ文書が見られることで知られる。この文書は「宰相レクミラに課された規定」の名でも呼ばれる。上エジプトからの貢納の場面、「口開けの儀式」と呼ばれる葬送儀礼、日々の暮らしを描いた絵もある。レクミラは建設工事や工房を監督する職務中の姿のほか、妻のメリトや子どもたちと過ごす余暇や家族の場面にも描かれている。ある場面では、王位についたばかりの新しいファラオ、アメンホテプ2世に花束を捧げている。
シャンポリオンは、この墓から、セム系の人々がほかのエジプト人の労働者とともにレンガを作り壁を築く様子を描いた絵を書き写した。晩年については、政治的にも個人的にも失脚した原因ははっきりしないが、不名誉を被って職を解かれたのではないかと推測されている。
同じ年に亡くなった人物
- カシュティリアシュ3世 (紀元前1500)
- アッシュル・ニラリ2世 (紀元前 1500年(推定))
- タフルワイリ (紀元前 1500年(推定))
- ネフェルウラー (紀元前 1500年(推定))
- アッシュル・シャドゥニ (紀元前 1500年(推定))
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