伝記
カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラスは、1815年10月31日にノルトライン=ヴェストファーレン州北部のオステンフェルデで生まれ、1897年2月19日にベルリンで没したドイツの数学者である。カトリックの家庭の長子で、父ヴィルヘルムは税務の監督官を務めた教養ある人物で、化学や物理の知識があり、フランス語も完璧に話した。一家の暮らしはかなり安定していて、父は息子たちに行政の職に就いてほしいと望んでいた。母テオドーラは、カールが12歳のときに亡くなり、その1年後に父はマリア・テレーザ・ヘルシャーと再婚した。父の仕事の都合で、一家はよく引っ越した。
カールはミュンスターの小学校に通い、1829年にパーダーボルンのカトリック学院に入った。優秀な生徒で、ドイツ語、ラテン語、ギリシア語、詩のほか、数学でも賞を得た。学院の図書館をよく利用し、数学雑誌『クレレ誌』を読み始め、アーベル、ルジャンドル、ヤコビ、のちに師となるクリストフ・グーデルマンらの論文に触れた。その多くは楕円関数を扱っており、これが彼の大きな関心の一つとなった。弟ペーターに教えるほどの数学の力を独学で身につけ、15歳のとき、商人の会計補助としても働き始めた。19歳で首席として学院を出ると、父は行政・財政学の課程を学ばせようと、1834年にボン大学へ送った。しかし講義には関心がなく、出席せずに、ユリウス・プリュッカーの幾何学の講義を聴き、ラプラスの『天体力学概論』などを独学で読み、ヤコビの楕円関数の著作を読みこなした。1838年の晩秋、心身ともに疲れ果てて父のもとに帰り、役人にはなりたくないと告げた。
家族の友人の勧めで、1839年にミュンスターの神学・哲学アカデミーに入り、ガウスの弟子であったクリストフ・グーデルマンに出会った。グーデルマンは楕円関数に魅了されており、1839年にヤコビの書に基づく講義を行って、ワイエルシュトラスは熱心に聴講した。この出会いが、楕円関数論への関心を決定づけた。教職の資格を得ると、1842年の秋にドイチュ=クローネの学校に任命され、数学や国語や地理、体操まで教えた。このような田舎の高校の教員としての仕事をしながら、ニールス・アーベルの定理とヤコビの二重周期関数の研究の統合を目指した。
1854年、クレレ誌にヤコビ逆問題に関する論文が掲載されて、1856年にベルリン大学に招聘され、1864年に正教授に就任して、最後までその地位にあった。1887年にコテニウス・メダル、1892年にヘルムホルツ・メダル、1895年にコプリ・メダルを受けている。初期の業績は超楕円積分の研究で、これがベルリン大学に招かれるきっかけになった。楕円関数論では、位数2のペー関数の研究を行い、複素解析では、解析接続に基づく厳密な方法を発展させた。イプシロン-デルタ論法や一様収束の概念を考案し、微分積分学の基礎づけに業績を残した。リーマンが直感的な方法を好んだのに対し、ワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる。いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示したことでも名高く、極小曲面の理論でも業績がある。
同じ年に亡くなった人物
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