伝記
ランプサコスのストラトンは、古代ギリシアの逍遥学派(ペリパトス派)の哲学者で、テオフラストスの死後にリュケイオンの学頭を継いだ三代目の学頭である。とくに自然科学の研究に打ち込み、アリストテレスの思想のうちの自然主義的な要素を強めた。宇宙を築くために能動的な神は必要ないと否定し、宇宙の統治を、意識をもたない自然の力だけに委ねることを望んだ。
父はアルケシラオスあるいはアルケシオスといい、ストラトンは紀元前340年から330年のあいだにランプサコスで生まれた。紀元前310年から306年にエピクロスがランプサコスで教えていたころ、二人は知り合っていたかもしれない。ストラトンはアテナイでアリストテレスの学派に学び、その後エジプトに渡って、プトレマイオス2世の家庭教師を務めた。このとき、サモスのアリスタルコスにも教えたという。紀元前287年ごろにテオフラストスが亡くなるとアテナイに戻り、その後を継いでリュケイオンの学頭となった。没年は紀元前270年から268年のあいだとされる。
自然の研究に専念したことから「自然学者(ピュシコス)」の異名を得た。キケロはその才能を高く評価しながらも、哲学の最も重要な部分である徳と道徳に関わる領域をおろそかにして、自然の探究に没頭したと非難している。ディオゲネス・ラエルティオスが挙げる長い著作の目録には、道徳哲学に関する題もいくつかあるが、大多数は自然科学の分野に属する。ストラトンの著作は一つも残らず、その見解は後世の著述家が伝える断片的な報告から知られるのみである。
哲学では、正確な研究の必要を強調した。その一例として、注ぎ口から流れ落ちる水が別々の滴に分かれる様子の観察を、落下する物体が加速することの証拠として用いた。時間については、アリストテレスが運動の数えられる面と定義したのに対し、運動も時間も連続的だが数は離散的であるから、時間は運動から独立した存在をもつ、あるいは運動の数的な面ではなく量的な面だと論じた。シンプリキオスは、アリストテレスの『自然学』への注解でこの議論の一節を伝えている。また、アリストテレスの「自然な場所」という考えを退け、物体は落下するにつれて重さが増すのではなく、衝撃が大きくなるのは速度が増すためだという機械論的な見方を示した。場所を取り囲む表面とするアリストテレスの考えにも批判的で、ものが占める空間と見ることを好み、第五元素の存在も否定した。
魂については、プネウマ(気息)の働きを重視した。魂の活動は、頭にある「支配部分」から全身に広がるプネウマによって説明され、あらゆる感覚は身体の末端ではなく支配部分で感じられる。感覚には必ず思考が伴い、感覚に由来しない思考はないとした。魂の不死は否定し、プラトンが『パイドン』で示した「証明」を攻撃した。物質はすべて微小な粒子からなると考えたが、デモクリトスの空虚の理論は退けた。空虚が存在するのは、不完全に合わさる粒子のあいだの隙間にすぎず、空間は常に何らかの物質で満たされているとした。この理論により、圧縮の現象や、一見固い物体を光や熱が通り抜けることも説明できた。物質の外に神を認めず、物質のあらゆる粒子が感覚も知性もない形成力と生殖力をもち、生命・感覚・知性は物質の形態や偶有性にすぎないと考えたらしい。キケロは、神の力はすべて自然に宿るとするこの考えに異議を唱えた。
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