伝記
エウパリノスは、メガラ出身とされる古代ギリシアの技術者である。紀元前6世紀後半に、サモス島でエウパリノスのトンネルを築いた人物として知られる。生没年は伝わらず、このトンネルの建設者としての名のほかには、人物についてほとんど何も分かっていない。
ギリシアの歴史家ヘロドトスは、著書『歴史』の中でこのトンネルを簡単に述べ、メガラのエウパリノスをその建築家として挙げている。このため、名前が後世に伝わった歴史上最初の水利技術者とみなされる。エルサレムのヒゼキヤのトンネルのほうが古いが、その建設者の名は知られていない。トンネルの建設はサモスの僭主ポリュクラテスの事業に帰されてきたが、現在では、それより後の建造で、紀元前550年から前530年のあいだに造られたと考えられている。いずれにしても、このトンネルは当時も今も、技術上の大きな偉業とされる。
トンネルはカストロ山の近くにある泉から、山をくぐり抜けて、古代のサモスの都市(現在のピタゴリオ)へ水を引いていた。当時としては最長で、今も残っている。両端から同時に掘り進められたが、そのような方法で造られた最初のトンネルではない。紀元前8世紀に、エルサレムへ水を引くトンネルが両端から同時に掘られていた。ただしエルサレムのほうは、方向を誤った掘り直しが多く、300メートルを抜けるのに遠回りが必要だったことから、体系的な方法ではなく、地下を流れる水に沿って掘ったらしいとされる。これに対してサモスのトンネルは、計画に基づいて両端から掘られた最初のものとされる。
ルートは一直線ではない。両端の数百メートルは直線だが、中ほどの三分の一には何度かの曲がりがある。トンネルは、主トンネルと、その左側に沿う溝の二つの部分からできている。主トンネルは断面が正方形で水平だが、溝は少しずつ深くなり、平均の勾配は0.4パーセントである。溝の底には、水を運ぶ素焼きの管が通されていた。
エウパリノスの名は、のちの世にも用いられている。コリントス地方のゲラネイア山脈の下に造られ、2017年に完成した道路トンネルは、エフパリノス・トンネルと名づけられた。また、ポール・ヴァレリーの作品『エウパリノス、あるいは建築家』(1921年刊)はその名を題にとっている。この作品はフランスの芸術家や建築家、特にオーギュスト・ペレに大きな影響を与え、「モニュメンタルな秩序」やアール・デコの理論的な基礎にも影響したという。