HISTORICAL PERSON · 1899年没

ロベルト・ブンゼン

ドイツの化学者。キルヒホフと分光学の方法でセシウムとルビジウムを発見し、改良したバーナーは「ブンゼンバーナー」と呼ばれる。ブンゼン電池も発明した。

生涯
1899年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州 / ハイデルベルク)
出生地
ドイツ連邦共和国(ゲッティンゲン)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州)

伝記

ロベルト・ヴィルヘルム・ブンゼンは、1811年3月30日(31日とも)にドイツのゲッティンゲンで生まれた化学者である。ゲッティンゲン大学の図書館長で近代語文献学の教授だったクリスティアン・ブンゼンの、4人兄弟の末っ子だった。ホルツミンデンで学校に通い、1828年にゲッティンゲン大学に入学して、化学をフリードリヒ・シュトロマイヤー、鉱物学をヨハン・ハウスマン、数学をガウスに学んだ。1831年に博士号を取得すると、1832年から1833年にかけてフランス、ドイツ、オーストリアなどを巡り、アニリンを発見したルンゲや、ギーセンのリービヒ、ボンのミッチャーリヒらの科学者と会った。

1833年にゲッティンゲン大学の講師となり、亜ヒ酸の金属塩の溶解性の実験的研究を始めた。水酸化鉄がヒ素の沈殿剤として働くことを発見し、これは現在も最も効果的なヒ素中毒の解毒剤とされる。1836年にフリードリヒ・ヴェーラーの後任としてカッセル工業専門学校の教師になり、1839年にはマールブルク大学の員外教授、1841年に正教授となった。マールブルクでは、ヒ素化合物のカコジルの研究を続けたが、猛毒で、乾燥した空気中で自然発火するカコジルを扱って、ヒ素中毒で死にかけたうえ、爆発により右目の視力を失った。この研究は、有機化合物のラジカル説の発展の重要な一歩になった。1841年には、電池の陽極をそれまでの高価な白金から安価な炭素に変えたブンゼン電池を発明し、これを使った電気分解で、マグネシウムなどの金属を単離した。1846年には、アイスランドの火山調査の遠征にも加わった。1851年にブレスラウ大学の教授となり、3学期を教えたあと、1852年8月にレオポルト・グメリンの後任として、ハイデルベルク大学の化学教授となった。

ハイデルベルクでは、1852年からヘンリー・ロスコーと、水素と塩素から塩化水素が光化学的に生成する反応を研究し、「ブンゼン=ロスコーの相反則」を生んだ。1853年には二酸化硫黄が、水の存在下でヨウ素により定量的に硫酸に酸化されるブンゼン反応を発見した。この反応は現在もカールフィッシャー滴定に使われている。1859年にロスコーとの研究をやめ、グスタフ・キルヒホフと、加熱した元素の発光スペクトルの研究を始めた。助手のペーター・デサガとともに、高温でごく清潔な炎を出すガスバーナーを完成させており、これが「ブンゼンバーナー」と呼ばれる。1859年夏、キルヒホフの提案で、二人はプリズムによるスペクトルを調べる分光器の原型を作り上げ、ナトリウム、リチウム、カリウムの固有のスペクトルを突き止めた。デュルクハイムの鉱泉水の試料から未知の青い輝線を見つけると、新元素の存在を予想し、40トンの水を蒸留して、1860年春に17グラムの新元素を取り出し、ラテン語で深い青を意味する語から「セシウム」と名付けた。翌年には同様の方法でルビジウムも発見した。

火山ガスの分析など、のちの地球化学になる研究も行い、1870年に氷熱量計、1887年に蒸気熱量計を発明した。ハイデルベルク大学の門下生にはロータル・マイヤー、アドルフ・フォン・バイヤー、ヴィクトル・マイヤー、ヘイケ・カメルリング・オネスらがおり、メンデレーエフも1859年から2年間学んだ。1860年に王立協会外国人会員に選ばれ、コプリ・メダルを受けた。1899年8月16日にハイデルベルクで没した。

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