HISTORICAL PERSON · 1815年没

フランツ・アントン・メスメル

ドイツの医師で、動物磁気説の提唱者。治療にグラス・ハーモニカを使い続けたことが問題となってウィーンを追放され、パリで治療を続けた。その概念と実践は、のちの催眠術の開発につながった。

生涯
1815年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州 / メーアスブルク)
出生地
ドイツ連邦共和国(Iznang)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バーデン=ヴュルテンベルク州)

伝記

フランツ・アントン・メスメルは、1734年5月23日にドイツ南部ボーデン湖畔のイツナングで生まれ、1815年3月5日にメーアスブルクで没したドイツ人の医師である。動物磁気説の提唱者で、彼自身は動物磁気と呼んだ治療法は、のちにメスメリズムと呼ばれた。1842年にジェイムズ・ブレイドが催眠術を開発する契機となり、その名は催眠をかけることを意味する英語の語源になった。

ディリンゲンとインゴルシュタットのイエズス会の大学で学んだのち、1759年からウィーン大学で医学を修めた。1766年に提出した博士論文『人体への惑星の影響について』では、月や惑星が人体や病気に及ぼす影響を論じた。ニュートンの潮の干満の理論に大きく拠っており、人体の中にも潮の干満があって、その原因は太陽や月の運動にあると説明した。1768年1月、ウィーンで裕福な男爵の未亡人マリア・アンナと結婚して医者として開業し、立派な屋敷に住んで芸術のパトロンとなった。同じ年、宮廷の陰謀で12歳のモーツァルトのオペラ『偽ののろま娘』の公演が妨げられると、自宅の庭でモーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』を上演させたと言われるが、伝記作家ニッセンは、実際に上演された証拠はないと述べている。

1774年、ある女性患者に鉄を含む調合剤を飲ませて体内に「人工的な干満」を起こさせ、体のあちこちに磁石を付けると、患者は体中を不思議な液体が流れるのを感じ、数時間、病状から解放されたという。彼は磁石だけで治療ができたとは思わず、治したのは動物磁気だと考えて研究を続け、まもなく磁石の使用はやめた。1775年にはミュンヘン科学アカデミーから、聖職者ガスナーの行った悪魔払いについて意見を求められ、これは高度な動物磁気の結果だと答えた。個別の治療では、患者と膝が触れあうほど近くに座って親指を押さえ、目をじっと見つめ、肩から腕に沿って手を動かし、季肋部を押した。患者の多くは奇妙な感覚や痙攣を覚えたが、彼はこれを治癒の前触れと考えた。治療の最後には、発明されたばかりのグラス・アルモニカを演奏することがよくあった。1780年までに患者が個別の治療の限度を超えると、バケツと呼ばれる集団治療法を確立した。

1777年に盲目の音楽家マリア・テレジア・フォン・パラディスを治療したが、視力を取り戻せず、そのためにスキャンダルが起き、ウィーンの追放を命じられたとも伝わる。翌年パリに出て、金持ちや権力者が好む町の一角に部屋を借りて治療を始めた。パリは、彼をもぐりの医者と見る人と、偉大な発見をした人物と見る人に二分された。科学アカデミーか医学アカデミーに入ろうとして失敗したが、弟子になりたいという医師デスロンを得て、1779年に『動物磁気の発見に関する覚え書』を著し、27の命題を添えた。彼は、健康とは体内の無数の経路を流れる生命作用の「流体」が自由に流れることだと理解し、病気はこの流れが阻害されて起こるものと考えた。

1784年、ルイ16世は調査のための委員会を任命し、ラヴォアジエ、ギヨタン、バイイ、フランクリンらが加わった。委員会は対照実験を行い、そのような流体の証拠はなく、治療がうまくいったとしても「想像力」のおかげだと結論づけた。1785年にパリを離れ、1790年にはウィーンに戻り、亡き妻の屋敷に住んだが、のちにそれを売り、1801年には再びパリにいた。最後の20年間の行動はほとんど知られていない。

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