伝記
アルサメス1世は、紀元前3世紀中ごろに、アルメニア、ソフェネ、コンマゲネを治めたオロンテス朝の君主である。名のアルサメスは古代ペルシア語のアルシャーマのギリシア語形で、「英雄の力を持つ」という意味をもつ。アケメネス朝の王族やペルシアの有力者のあいだでありふれた名で、ダレイオス大王の娘にもこの名の女性形をもつ者がいた。没年は紀元前227年とも紀元前228年ごろともされ、生年は分かっていない。
出自については、アケメネス朝のもとでアルメニアを治めた総督たちの後継者とされる。キリル・トゥマノフによれば、サモスの子で後継者であり、サモスはオロンテス3世の後を継いだ人物にあたる。このオロンテスは、歴史家ディオドロスが「アルメニア人の王アルドアテス」と呼ぶ人物で、紀元前301年にアリアラテス3世がマケドニアからカッパドキアを取り戻す際に支援したとされる。一方、紀元前260年に祖父オロンテス3世と父サメスが亡くなった後でアルサメスが三つの地域の支配を握ったと述べる説もあり、年代や系譜には揺れがある。
当時のセレウコス朝は、アケメネス朝期から続くアルメニアの王家を倒そうとし続けていたという。アルサメスは、セレウコス2世と争った弟アンティオコス・ヒエラクスを支持した。ポリュアイノスによれば、紀元前228年にヒエラクスがアルメニアの山地を越えたとき、友人であったアルサメスが彼を迎え入れた。また、ビテュニアのジアエラスは、アルサメスの宮廷に身を寄せたのち、ニコメデス1世の死を受けて紀元前254年に王国を取り戻したとされる。
アルサメスは王の称号を用いたことが知られる。円錐形のティアラをかぶった王の頭部を表に、「アルサモス王の」という銘と槍を構えた騎兵を裏に刻んだ青銅貨が、その人物のものと考えられている。紀元前235年ごろには、ソフェネにアルサモサタ、コンマゲネにアルサメイア(現在のエスキ・カレ)という自分の名を冠した二つの都市を建てたとされる。このことから、権力の中心はアルメニア本土よりもこれらの地域にあったと考えられている。
子には、後を継いだ長男クセルクセス、オロンテス4世、アルメニアのアルマヴィルにある太陽と月の神殿の大祭司となったミトラス(ミトレネス2世とも)らがいる。クセルクセスはコンマゲネ、ソフェネ、アルメニアの王となり、オロンテス4世がその次の王となった。また、アルサメスはコンマゲネ王朝の創始者プトレマイオスの祖父とされている。
同じ年に亡くなった人物
- 荊軻 (紀元前227年没)
- Ziaelas of Bithynia (紀元前227)
- アルキダモス5世 (紀元前227年没)
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