伝記
アルキダモス5世は、エウリュポン朝のスパルタ王であり、この王家の祖プロクレスの血を引く最後の王とされる。在位は紀元前228年から227年とされる。エウダミダス2世とアゲシストラタの子で、アルキダモス4世の孫にあたり、祖父にちなんで名づけられた。改革を試みた王アギス4世の弟である。
紀元前241年に兄アギス4世が殺害されると、身の危険を感じたアルキダモスはメッセニアに逃れた。スパルタでは通常、アギス家とエウリュポン家から一人ずつ王が出て共同統治を行っていたが、アギス4世の子エウダミダス3世が亡くなると、アギス家の王クレオメネス3世には共同統治者がいなくなった。紀元前228年(あるいは227年)、クレオメネスはアルキダモスを呼び戻した。もう一方の王家の王として、監督官の力を弱める手助けをさせるためだったともいわれる。こうしてアルキダモスは王位に就いた。
しかし、帰国してまもなく、アルキダモスは暗殺された。この殺害の犯人については説が分かれる。プルタルコスは、アギスを殺した者たちが弟の復讐を恐れて手を下したと述べ、クレオメネスの教唆によるものだったとも伝えられる。一方ポリュビオスは、クレオメネスがアルキダモスを殺したと主張する。ポリュビオスによれば、アルキダモスはクレオメネスを恐れてメッセニアに逃げていたが、クレオメネスはアルキダモスの友人であるメッセニア人ニカゴラスに、身の安全を保証すると約束して連れ戻させた。クレオメネスは出迎えに出てアルキダモスを殺したが、ニカゴラスは許したという。この殺害は、クレオメネスがエジプトに亡命していた時期のことだとする記述もあるが、別の研究者は、クレオメネスが権力を握る前、アギスの支持者がまだ強い立場にあったころの出来事だと考えている。
アルキダモスには二人の子がいて、プロクレスの血を引く者は他にもいた。それでも、次のエウリュポン朝の王はこの系統からは出なかった。次の王位には、クレオメネスの弟エウクレイダスが就いた。のちに共和政の後に立ったリュクルゴスは、監督官たちに賄賂を贈って王となったとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アルサメス1世 (紀元前227)
- 荊軻 (紀元前227年没)
- Ziaelas of Bithynia (紀元前227)
同じ地域に関係する人物
- Dimitrios Ypsilantis (1832年没)
- ピュロス (紀元前272年没)
- メロスのディアゴラス (紀元前450)
- フランチェスコ・モロジーニ (1694年没)
- メガロポリスのケルキダス (紀元前300)