伝記
ビザンチウムのフィロンは、古代ギリシャの機械学の発明家であり著作家である。紀元前280年ごろから紀元前220年ごろの人とされ、紀元前3世紀後半に活動した。ビザンチウムの出身だが、生涯の大半をエジプトのアレクサンドリアで過ごした。同時代の発明家クテシビオスよりおそらく若いとされ、クテシビオスの弟子だったとみる研究者もいる。フィロンはその実験を自分の目で見たかのように記しているからだが、間接的に伝え聞いた記述にすぎないとして慎重な見方をとる論者もいる。クテシビオスより1世紀前の人物だとする研究家までいて、年代は定まっていない。後世の建築家ウィトルウィウスは、フィロンをしばしば引いている。
伝えられる経歴はごくわずかである。生地がビザンチウムであること、アレクサンドリアとロドス島に滞在して投石機の製作を学んだことが、主な手がかりだ。滞在中に投石機の建造を目にしたことを、自著の砲兵論の第4章に書いている。遠くへ赴いて学べたことから、裕福な市民だったか、富裕な後援者に学費を支えられていたと推測する人もいる。著作の全巻を献呈した友人アリソンが、その後援者だったのではないかと推測する説もある。
主著は『総覧の力学』で、数学入門、一般機械学、港湾建築、砲兵、空気や水圧で動く装置、機械玩具と娯楽、包囲の準備、包囲の実施、秘密文書といった部門からなる。砲兵と包囲戦の部門はギリシア語で完全な形が伝わり、数学入門と機械玩具の部門は断片しか残らない。空気圧の部門は、アラビア語版からのラテン語訳の形で保存された。その一部は、ウィトルウィウスの著作やアラビアの著述家にも取り入れられたとみられる。砲兵の部門では、矢を放つ投射機や石を飛ばす投射機の作り方を述べ、ねじりの力で弾を飛ばす新しい装置を考案した。製作に必要な基本の寸法も定めた。さらに、自動で矢をつがえる連発式の弩を説明している。これは鎖を使った動力伝達の最も古い応用とされ、2本の水平な鎖につないだ巻き上げ機を前後に回すと、弾倉が空になるまで矢が自動で発射される仕組みであった。城壁や塔の築き方にも触れたが、その論述はのちのアレクサンドリアのヘロンには及ばないとされる。
空気圧の部門には、歴史上知られる最初の水車の詳しい記述があるとされ、第31章では脱進機が、洗面所の仕掛けの一部として説かれる。水槽から水を受けて傾くスプーンが軽石を洗面器に落とし、空になると重りで元に戻って石の戸が閉まるという仕組みだ。フィロンは、この構造が時計に似ているとも記しており、同様の脱進機が古代の水時計にすでに使われていたことを示す。八面のインク壺も彼のものとされ、どの面を上にしても筆を浸せた。中央の溜めが同心の金属の輪に取り付けられているため、どう回してもインクがこぼれず、これがジンバルの最初の言及とされる。このほか、女の召使いの形をして水とぶどう酒を好みの割合で混ぜる装置や、サイフォンの原理を示す実験装置、空気の膨張を見せる温度計の原型のような装置も書いている。
数学では立方体倍積問題に取り組んだ。投石機が投げる弾の重さを2倍にするには、どんな大きさの投石機を作ればよいかという問題から生じたものである。定規とコンパスだけでは解けず、直角双曲線と円の交点を求めるという解を示した。のちにヘロンも似た解を与えている。この作図は「フィロンの線」と呼ばれ、名が残る。なお、世界の七不思議を論じた旅行家のフィロンは別人である。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- マフムト1世 (1754年没)
- アガペトゥス1世 (ローマ教皇) (536年没)
- Leyla Erbil (2013年没)
- Fatma Sultan (1580年没)
- Patriarch Fotios II of Constantinople (1935年没)