伝記
スファイロスは、古代ギリシアのストア派の哲学者である。ボリュステネスの出身、あるいはボスポロスの出身とされ、紀元前285年ごろに生まれたと伝えられる。没年は紀元前221年とも220年ともいわれ、紀元前210年ごろとする説もあって定まらない。
若いころ、まずキティオンのゼノンに学び、のちにクレアンテスに師事した。おそらくアテナイで二人の講義を聴いたとみられる。その後スパルタで教え、王クレオメネス3世の助言者となった。栄誉と武勲を好んだ王を助けて、スパルタ伝統の教育制度や共同食事の制度の再建にかかわったとされ、王の宣伝を担ったのもスファイロスだった可能性が指摘されている。その狙いは、古い制度を復活させると称しながら、実際には新しい仕組みを作り、新しく市民となった人々を都市に組み込むことにあったともいう。
のちにエジプトのアレクサンドリアへ移り、プトレマイオス4世フィロパトルの宮廷に身を寄せた。移った時期ははっきりしないが、クレオメネス自身がアレクサンドリアに亡命した紀元前222年ごろだった可能性がある。ディオゲネス・ラエルティオスとアテナイオスは、スファイロスが王プトレマイオスに仕掛けられた計略にだまされたのに、それを認めずに切り抜けたという逸話を伝えている。
著作は多く、ディオゲネス・ラエルティオスは33の作品、約38巻の目録を残した。『宇宙について』『元素について』『運命について』『原子と幻像への反論』『感覚器官について』『ヘラクレイトスについての五つの講義』『義務について』『衝動について』『情念について』『王政について』『スパルタ人の国制について』『リュクルゴスとソクラテスについて』『法について』『占いについて』『死について』『弁証術』『書簡』などがある。いずれも失われ、スパルタの国制を論じた書から、プルタルコスが長老会の人数を述べた箇所と、アテナイオスが共同食事での規律を述べた箇所が、わずかに断片として残る。後者は、富める者が富を見せびらかさず恩人のようにふるまってはならず、各人が収入に応じて分担すべきだと述べる。
ストア派のなかでは、定義の正確さで高い評価を得ていた。
同じ年に亡くなった人物
- マガス (紀元前220)
- クテシビオス (紀元前 220年)
- ディオドトス2世 (紀元前 220年(推定))
- ビザンチウムのフィロン (発明家) (紀元前220年代没)
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