伝記
アリス・ド・ナミュールは、ナミュール伯ジョフロワ1世とエルメジンデ・フォン・ルクセンブルクの娘である。生年は1112年とも1115年ともされ、1109年または1116年という説もある。母エルメジンデはルクセンブルク伯コンラート1世の娘であった。アリスはアリックスとも呼ばれる。1130年頃、父の取り決めによってエノー伯ボードゥアン4世と結婚し、エノー伯妃となった。モンスのジルベールは、アリスについて、姿が優美で顔立ちも美しかったと記している。
夫との間には多くの子供が生まれた。娘ヨランドの誕生は1131年から1135年頃とされ、息子ボードゥアンは1134年に生まれた。娘アニェスは1140年から1145年頃、息子ジョフロワは1147年に生まれたとされる。先に生まれたボードゥアンは若くして死に、バンシュに葬られた。同じ名を持つ息子で、のちのボードゥアン5世は1150年生まれである。ほかにローレット、アンリ、ギヨーム、ベルトという子供もいたとされる。アンリはセブールの領主となり、ギヨームはナミュール伯領のシャトー=ティエリーを領した。
子供たちは婚姻を通じて周辺の伯家や領主家と結ばれた。ヨランドはソワソン伯イヴ2世・ド・ネールに嫁ぎ、その夫が1157年に子を残さず死ぬと、サン=ポル伯ユーグ4世と再婚した。アニェスはクシー領主ラウール1世の妻となった。オストゥルヴァン伯となったジョフロワは、15歳でヴェルマンドワ女伯エレオノールと結婚したが、子を残さず若くしてモンスで死去した。その没年は1161年とも1163年ともされる。ローレットの最初の夫ディルク・ファン・アールストは、1165年に子を残さず死んだ。
アリスは1169年7月、ヴァランシエンヌで死去し、モンスの聖ウォルトルード教会に葬られた。夫ボードゥアン4世に先立っての死であった。石棺の蓋にはパーベック産の大理石が用いられ、ラテン語の詩句と彫刻が刻まれた。この大理石は希少で、上層の人々の墓に使われる石材であった。息子ボードゥアン5世はエノー伯となり、マルグリット・ダルザスとの結婚によってフランドル伯にもなった。娘ローレットは1171年の少し後にモンモランシー家へ再婚し、再婚相手とともにパリ司教区のヴァル修道院を援助した。アリスの石棺の蓋は、のちにワロン地域とブリュッセルの文化財として保護の対象に指定された。
同じ年に亡くなった人物
- コンラート・フォン・ボイテルスバッハ (1110年)
- エリー1世 (メーヌ伯) (1110年没)
- Al-Mustain II (1110年没)
- William-Jordan (1110年没)
- バフヤ・イブン・パクダ (1110年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ジュリアン・フェルヴァーク (1940年没)
- Auguste Serrurier (1924年没)
- マルガレーテ・フォン・ホラント (1356年没)
- Lazare Gianessi (2009年没)
- ジャン・バール (1702年没)