伝記
イド・ド・ブローニュは、1040年頃、下ロレーヌ公ゴドフロワ3世とドダの娘として生まれた。ロレーヌのイドとも呼ばれ、父方にはカール大帝へ連なる血筋を持つ。祖父はロレーヌ公ゴツェロ1世、兄弟は下ロレーヌ公ゴドフロワ4世であり、教皇ステファヌス9世の姪でもあった。マンステールビルザン修道院で教育を受け、1056年頃、17歳でブローニュ伯ウスタシュ2世に嫁いだとされる。ただし、結婚を1049年とする説もある。
夫妻の間には、1058年頃にウスタシュ、1061年頃にゴドフロワ、1065年頃にボードゥアンが生まれた。イドは夫とともに、子供たちにキリスト教の教育を授けた。乳母に任せることを避け、自分で乳を与えて育てたとも伝えられる。これは、乳母の暮らし方や道徳が子供に及ぼす影響を案じたためとされる。信仰面では、ノートルダム・デュ・ベック修道院の院長を務めたアンセルムスの指導を受け、手紙を交わした。アンセルムスからイドに宛てた書簡の一部は現存している。
1087年に夫が死去したとされ、その後、イドは広い所領と財産の管理を担った。この財産を用いて貧しい人々を助け、教会や修道院を創設し、既存の建物も修復した。自分が学んだマンステールビルザンのほか、ブローニュのノートルダム教会、サン・ウルメール修道院などが援助を受けた。ピカルディにも複数の修道院を設け、カレー付近のノートルダム・ド・ラ・シャペルやル・ワストも、その活動と結びつく場所となった。教会との関わりを深めたが、修道女になったのではなく、ベネディクト会の在俗の奉献者であったと考えられている。
息子たちが第1回十字軍へ向かうと、イドは遠征費を多額に負担した。ゴドフロワの成功を祈り、聖地から送られた聖遺物を保護下の修道院に分け与えた。ウスタシュはブローニュ伯位を継ぎ、ゴドフロワはエルサレムの聖墓守護者となった。ボードゥアンはエデッサ伯を経てエルサレム王となった。イドは1113年4月13日に死去し、ル・ワストの修道院に葬られたとされる。同修道院の同時代の修道士がその生涯を著した。信仰と慈善によって福者として崇敬され、1478年にはフランス王ルイ11世がブローニュとその伯領の守護者に定めた。遺骸は1669年にパリへ、1808年にバイユーへ移され、同地で崇敬が続いた。
同じ年に亡くなった人物
- ゲルトルート・フォン・ザクセン (1030-1113) (1113年没)
- リドワーン (1113年没)
- マウドゥード・ブン・トゥンテギン (1113年)
- チャンシッター (1113年没)
- スヴャトポルク2世 (1113年没)
同じ地域に関係する人物
- ヨハン・ニコラウス・フォン・ホントハイム (1790年没)
- シルヴァン・アラン (1992年没)
- カミーユ・ジェナッツィ (1913年没)