伝記
フィリップ・ハルステンソンは、スウェーデン王ハルステンの息子で、ステンキル家に属する王である。父はハルステン・ステンキルソンとも呼ばれる。生年は明らかでないが、1067年生まれとする説もある。兄弟に、若インゲとも呼ばれるインゲ2世がいた。フィリップという名はギリシャ語に起源を持ち、キリスト教との関わりが強い名であった。少年時代や即位前の具体的な活動は、ほとんど明らかになっていない。
1095年、ノルウェー王ハーラル3世の娘インゲゲルドと結婚したとされる。ハーラルはハルドラーダの名でも知られる王で、インゲゲルドの母はルーシの王女エリザヴェータであった。妻はヤロスラウ賢公とスウェーデン出身のインゲゲルドの孫に当たる。また、先にデンマーク王オーロフと結婚していたが、その夫は1095年に死去していた。フィリップとインゲゲルドの間に子供がいたことは知られていない。さらに、名の伝わらないルーシの王女と再婚したともいわれるが、この結婚にも子はなかったとされる。
叔父インゲ1世の後を受け、兄弟のインゲ2世とともにスウェーデン王となった。共同統治の開始は1105年とも1110年ともされ、即位の年は定まっていない。王としての活動は詳しく伝わらないが、法を守る良き王であったとされる。国内の王権とキリスト教を強める方針を取ったともいわれる。その治世は短かったと伝えられ、1118年に死去した。死因については、弟のインゲに殺されたとも、義理の姉妹ウルヴヒル・ホーコンスドッテルの意を受けた毒殺だったともいわれるが、確かなことは分かっていない。
遺体は、エステルイェートランドのリンシェーピングにあるヴレタ修道院に葬られたと考えられている。兄弟インゲと同じ場所に眠るとされ、同修道院では非常に背の高い二人の骨格が見つかった。これは、ステンキル家の人々が長身だったという伝承と結び付けられている。教会の祭壇近くにある墓石は16世紀のもので、刻まれた記述には不正確な部分もあるが、王兄弟の遺骨の上に置かれている可能性がある。
同じ年に亡くなった人物
- パスカリス2世 (ローマ教皇) (1118年没)
- ロバート・ド・ボーモント (初代レスター伯) (1118年)
- アデライデ・デル・ヴァスト (1118年)
- アレクシオス1世コムネノス (1118年没)
- マティルダ・オブ・スコットランド (1118年没)
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