HISTORICAL PERSON · 1118年没

マティルダ・オブ・スコットランド

イングランド王ヘンリー1世の王妃。アルフレッド大王の血を引くことから王妃に望まれ、幼少期を過ごした修道院時代からヘンリーと縁があったとみられる。

生涯
1118年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / ウェストミンスター宮殿)
出生地
イギリス連邦(ダンファームリン)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

マティルダ・オブ・スコットランドは、1080年頃、スコットランドのダンファームリンで、マルカム3世とマーガレットの娘として生まれた。洗礼名はイーディスである。母を通じてイングランドの古い王家につながり、エドマンド2世の曾孫、アルフレッド大王の子孫に当たった。洗礼ではノルマンディー公ロベールが代父、イングランド王妃マティルダが代母を務めた。幼児が王妃の頭飾りを引いたため、将来王妃になるしるしと受け取られたという。母は子供たちを厳しく育て、信仰を重んじるよう教えた。六歳頃、妹メアリーとともにイングランド南部のラムジー修道院へ送られ、叔母クリスティーナのもとで教育を受けた。

修道院では英語、フランス語、ラテン語を学び、聖書やアウグスティヌスの著作を読めるようになった。母も書物を好んでおり、王女の学習内容は当時の女性に一般的だった教育の範囲を超えていた。財産管理や幾何学についても学んだと考えられる。叔母はイーディスにヴェールを着けさせたが、本人が修道誓願を立てたわけではなかった。その後ウィルトン修道院でも暮らし、サリー伯ウィリアム・ド・ワーレンらからの求婚を断った。1093年にはリッチモンド領主アラン・ルーフスとの婚約が両親によって決められた。しかし結婚前の同年11月、父と兄エドワードがアニックの戦いで死に、母も11月16日に死去した。叔父ドナルド3世が王位を取り、スコットランドは継承争いに入った。兄弟たちは安全を求めてイングランド宮廷へ渡り、婚約者もイーディスのもとを去った。

この頃、イーディスは修道院を離れた。カンタベリー大司教アンセルムスはソールズベリー司教に帰還させるよう求めたが、ウィルトンには戻らなかった。1097年には兄エドガーが、イングランドの支援でスコットランド王となった。1100年8月にイングランド王ウィリアム2世が死ぬと、その弟ヘンリーが王位を得て、イーディスに結婚を申し込んだ。ヘンリーは即位に当たり、この王女を妃にすると議会に約束し、承認を取り付けていた。古いイングランド王家の血を引く王女との婚姻は、新王の支配の正統性を支えるものであった。修道院でヴェールを着けていた経歴が問題となったが、誓願を立てていなかったことを確かめたうえで婚姻が認められた。ヘンリー1世の妃となったイーディスは、マティルダの名で知られるようになった。

王妃は交通や医療のための建設事業を進め、政府と教会の間の仲介にも携わった。宮廷では文学を支え、政治にも関与した。夫が国を離れた1104年、1107年、1108年、1111年には摂政を務め、その署名を残す証書も多数伝わる。夫との間には娘マティルダと息子ウィリアムが生まれた。

マティルダは1118年5月1日に死去し、ウェストミンスター修道院に葬られた。臣民からは親しみをもって記憶され、善き王妃モードとも呼ばれた。死後にはカトリック教会の聖人にしようとする動きもあったが、列聖は実現しなかった。姪マティルドはイングランド王スティーブンの妃となった。娘の皇后マティルダを通じて、その血筋は後のイングランドとイギリスの君主へ受け継がれた。

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