伝記
エウティミオス・ジガベノスは、1050年頃に生まれた東ローマ帝国の修道士で、聖書の注解や異端への反論を著した。コンスタンティノープルのペリブレプトス修道院で暮らし、聖バシレイオスの規則に従った。皇帝アレクシオス1世コムネノスの友人であり、その庇護を受けた。皇帝の娘アンナ・コムネナからも学識と敬虔さを称賛されたが、出身や修道院に入るまでの経歴など、生涯の細部は明らかでない。
1104年頃、皇帝の命によって『教義の全武装』を執筆した。この書は、過去の著述家の文章を集めながら正教会の主要な教えを示し、異端やイスラームに反論するものであった。使徒の時代から始まり、当時広がっていたボゴミル派までを扱った。ボゴミル派の信徒の一部には自ら問いただした。また、コンスタンティノープルの教団指導者が皇帝の前で信仰の要点を語った際、皇帝の書記が記録した覚書も利用できたと考えられている。序文には、正しい信仰を守る者として自らを位置づけようとする皇帝の姿勢が表れていた。
聖書については、詩編、四福音書、パウロの書簡の注解を著した。解釈に当たっては、主として教父たちの著作に依拠した。ヨハネ福音書で姦通の罪に問われた女性を扱う箇所では、写本による違いにも目を向けた。より正確な写本には該当する記述がないか、後の付加を疑わせる印が付されていると述べ、ヨハネス・クリュソストモスがその箇所に触れていないことも根拠に挙げた。その一方で、物語には有益なところがあるとして、注解の対象から取り除かなかった。本文への疑いを示すことと、その内容を解説することを両立させていたのである。
1118年以後まで生存し、1120年にコンスタンティノープルで没したとされる。後にニケタス・コニアテスは『正教の宝庫』を著す際に、『教義の全武装』を利用した。ジガベノスの名で伝えられた著作には、『ニカイア・コンスタンティノープル信条の解説』や『イスラーム教徒との対話』もあるが、これらは本人の作ではないとされる。ボゴミル派を扱った記述は、同派の信仰内容を伝える同時代の証言として残った。
同じ年に亡くなった人物
- インゲゲルド・ハーラルスダッテル (1120年)
- ボードゥアン3世 (エノー伯) (1120年没)
- ヴェルフ2世 (バイエルン公) (1120年没)
- コンピエーニュのロスケリヌス (1120年代没)
- ウィリアム・アデリン (1120年没)
同じ地域に関係する人物
- スィナン・パシャ (1553年没)
- トゥンジェル・クルティズ (2013年没)
- 聖エウフェミア (303年没)
- ビザンチウムのフィロン (発明家) (紀元前220年代没)
- Orkhan (1453年没)