伝記
ベケトアテンは、紀元前14世紀の古代エジプト第18王朝の王女である。名は「アテンの侍女」を意味する。アメンホテプ3世と大王妃ティイの末娘で、王アクエンアテンの妹とみるのが最も有力だが、確かではない。生年は分からず、没年も紀元前1400年ごろとされるにとどまる。
出自には異説がある。アクエンアテンと第二の妻キヤの娘だとする説があり、アマルナの場面でキヤが「アテン」で終わる名の王女と並んで描かれることが根拠の一つとされる。ただ、その王女の名は完全には残っていない。ベケトアテンがアマルナの場面で「王の姉妹」とは呼ばれず、「王の身から出た娘」とだけ記される点も、この説の理由にあげられる。さらに、ミタンニ王女タドゥヘパがキヤと同一人物で、アメンホテプ3世とのあいだに生まれた娘だとする説もある。この場合、のちにキヤがアクエンアテンの妻となったので、ベケトアテンは兄の義理の娘になる。一方、ティイはキヤより早く亡くなったと考えられ、キヤの死後にティイが引き取って育てたとする推測は成り立ちにくい。ネベタという別の王女と同一人物とする見方もあるが、証拠はない。
ベケトアテンが確認できるのは、アクエンアテンの治世のアマルナに限られ、しかも常にティイとともに現れる。治世13年の日付をもつワインの壺の札には、ベケトアテンの領地の名が記されていた。ティイの家令フヤの墓には、ティイと並んで食事や酒の場面に描かれる姿がある。また王が母を神殿へ導く場面にも付き添い、碑文の左右の図には、アメンホテプ3世とティイの前に立つ姿が彫られている。ティイの領地に属する彫刻家イウティの工房で、彼女の立像がつくられる場面もある。年齢は、アクエンアテンの年長の娘たちと同じくらいに描かれているという。
ティイの死後の記録に名が現れないことから、若くして亡くなった可能性が高いとされる。「ヤンガー・レディ」と呼ばれるミイラの正体の候補にもあげられてきた。このミイラはアメンホテプ3世とティイの娘で、ツタンカーメンの母とされる人物である。2024年には、エジプト学者のマルティン・ボンマスが、ツタンカーメンの父をスメンクカラー、母をベケトアテンすなわちヤンガー・レディと同定した。
同じ年に亡くなった人物
- クリガルズ2世 (紀元前 1400年(推定))
- アブディ・アシルタ (紀元前 1400年(推定))
- シャッティワザ (紀元前 1400年(推定))
- アッシュル・ベル・ニシェシュ (紀元前 1400年(推定))
- ムテムウィヤ (紀元前 1400年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Ahmose-Sitamun (紀元前1600)
- Sennedjem (紀元前1001)
- ラムセス3世 (紀元前1151)