伝記
ペロプスは、スパルタ末期の王である。エウリュポン家の出で、先王リュクルゴスの子にあたり、この家系の最後の王とされる。在位は紀元前210年から紀元前206年とされるが、父の没年や即位年、在位の終わりについては、紀元前211年や212年、あるいは紀元前200年や199年とする記述もあり、一定しない。生まれたのは紀元前210年ごろともいわれ、紀元前220年か219年とする説もある。
父リュクルゴスは、紀元前215年に共同王のアゲシポリス3世を廃して追放し、スパルタを単独で治めていた。そのリュクルゴスが亡くなると、ペロプスはまだ幼いまま王位に就いた。幼い王には後見人が置かれ、最初にその任に就いたのがマカニダスである。ペロプスとマカニダスの縁戚関係は分かっておらず、ペロプスは名目上の王にすぎなかった。国政の実権はマカニダスが握っていたからである。マカニダスはおそらく傭兵を率いてスパルタのために戦った指揮官で、歴史家リウィウスは彼を、監督官を尊重せず傭兵の力を頼りに支配する僭主と呼んでいる。この時代の出来事は確かな記録に乏しい。
紀元前207年の夏、マカニダスはマンティネイアの戦いでアカイア同盟のフィロポイメンに敗れ、討ち死にした。その地位に就いたのがナビスで、ナビスが後見人となって国政を思うままにした。ナビスは、成長したペロプスが自分に取って代わることを恐れたとされる。政権を奪った翌年の紀元前206年には、ペロプスを廃して自ら王を名乗ったとされ、古代の史家たちはナビスを一貫して僭主と呼んだ。ポリュビオスはナビスを血に飢えた支配者と描き、ナビスもまた武装した兵力によって統治したという。
その後ペロプスはなお生かされていたが、ナビスは王家復活の企てを恐れて、紀元前199年にペロプスを暗殺させたともいう。この場合、処刑は廃位の数年後のことになる。いずれにしても、ペロプスの死によってエウリュポン家の王統は絶えた。ペロプスは幼少で即位し、後見人たちの支配のもとで王位を奪われ、命を落とした王であった。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
- Abantidas (紀元前250)
- ペリアンドロス (紀元前584)
- アリストン (スパルタ王) (紀元前515年没)
- テュルタイオス (紀元前700)
- クレオンブロトス (摂政) (紀元前479年没)