HISTORICAL PERSON · 1130年没

ヘルマン2世 (バーデン辺境伯)

初代バーデン辺境伯。1070年ごろにホーエンバーデン城を建設し、のちその名から辺境伯を名乗った。ヴェローナ辺境伯も兼ね、バックナングに修道院を建て、結婚によりバックナングを領有した。

生涯
1130年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ヘルマン2世は、バーデンの名を冠した辺境伯の称号を初めて用いた人物で、初代バーデン辺境伯とされる。1060年ごろに生まれたとされるが、1074年ごろとする説もある。ヴェローナ辺境伯ヘルマン1世と、妃ユーディトの息子で、ツェーリンゲン家の一門に属していた。父は1074年に亡くなったとされ、この家では、ケルンテン公の称号を帯びていた祖父ベルトルト1世の流れのなかで、ヴェローナ辺境伯の称号が受け継がれていた。ヘルマンはこの伝統に従い、1087年にはブライスガウ伯の称号を名乗っていた。

1098年、皇帝ハインリヒ4世からバーデン゠バーデンと、ゼルツ修道院の保護権を与えられた。これは、シュヴァーベン公位をめぐるシュタウフェン家とツェーリンゲン家の和解の流れのなかでのことであった。その直後に、古いケルト人の環状の防壁の跡にホーエンバーデン城の建設を始めたとみられる。ただし、城の建設は1070年ごろに始まったとする説明も多い。城は今日のバーデン゠バーデンの町の上にあった。ヘルマンは1100年ごろにはリンブルク辺境伯の称号も用いている。城が完成した1112年、ヘルマンは新たな本拠にちなんで、初めてバーデン辺境伯と名乗った。この年の4月27日の文書に、その呼び名が最初に現れるとされる。バーデンの名を称号に移した背景には、叔父ベルトルト2世と従兄弟コンラートの公爵という地位に対し、自分の格を高める意図があったと考えられている。以後ヘルマンは、バーデンの領主、ブライスガウ伯、ヴェローナ辺境伯と名乗った。

ヘルマンは、バックナングの領主ヘッソ2世の娘ユーディトと結婚したとされ、この結婚によってバックナングはバーデン辺境伯の領地となった。ただし、妻をホーエンベルクの出で1121年に没したとする記述もある。夫妻はバックナングに、アウグスティノ会の参事会員の修道院を一家の墓所と記念の場として築いた。この修道院の創設は1116年に教皇が認め、1123年にヘルマンは、おそらく妻の死後に、さらに多くの所領を与えて整えた。

ヘルマンは1130年10月7日に没した。バックナングの修道院に葬られ、墓碑には、この修道院の創設者であるバーデン辺境伯ヘルマンがここに眠り、1130年に没したと記されている。息子のヘルマン3世は1105年ごろに生まれ、父のあとを継いでバーデン辺境伯となり、1160年に没した。娘のユーディトは、ケルンテン公ウルリヒ1世と結婚して1162年に没した。ヘルマンがバーデン辺境伯と初めて呼ばれた日から900年にあたる2012年には、バーデン家が900年の節目を祝った。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。