伝記
マルガレータ・フレドクッラは、スウェーデンの王女として生まれ、ノルウェー王マグヌス3世の妃、のちにデンマーク王ニルスの妃となった女性である。事実上のデンマークの摂政もつとめた。フレドクッラとは「平和の少女」の意である。ノルウェー語やデンマーク語ではマルグレーテ、古ノルド語ではマルグレートと呼ばれる。スウェーデン王インゲ1世と王妃ヘレナの間に生まれた4人の子の一人で、生まれた年は1080年代とされるだけで、生年月日も生地もわかっていない。
1101年、マルガレータはノルウェー王マグヌス3世と結婚した。この結婚は、スウェーデンとノルウェーの間の平和条約の一環として決められたもので、そのために彼女は「平和の少女」と呼ばれた。持参金として、おそらくヴェステルイェートランドにあたるスウェーデンの広大な領地をもたらした。しかし1103年に夫のマグヌス3世が亡くなり、結婚から2年で寡婦となった彼女は、まもなくノルウェーを去った。夫婦に子はなかった。ノルウェー人は、彼女が国に残ると期待していたため、この出国を侮辱と受け取り、彼女は聖オーラヴの聖遺物を盗んだと非難された。
1105年、マルガレータはデンマーク王ニルスと再婚した。ニルスは1104年に王となっていたが、統治の力に欠け、国の事柄を王妃に任せきりにした王であったといわれる。マルガレータはニルスの承認を得てデンマークを治めた。賢明な統治者であったといわれ、デンマークと祖国スウェーデンの関係は、彼女が王妃であった間はきわめて平和だった。「国の統治は寛大な王妃マルグレーテに大いに委ねられており、外国人はデンマークの統治は女性の手の中にあると述べていた」と伝えられる。彼女は自分の硬貨を鋳造したが、これは同時代の王妃では唯一の例とされる。この時期のデンマークの硬貨には、「マルガレータ=ニカラス」(マルグレーテ=ニルス)という銘が刻まれている。
1110年に父のインゲ1世が亡くなり、スウェーデン王位は父の甥たちが継いだ。姉のクリスティーナはノヴゴロドに住み、遺産を相続するにはあまりに遠くにいると見なされたため、マルガレータと妹のカタリーナが遺産の相続人となった。マルガレータは、その遺産を、ノルウェーにいる姪のイングリッド(兄ラグンヴァルドの娘で、ノルウェー王ハーラル4世の妃)と、デンマークにいる姪のインゲボルガ(姉クリスティーナの娘で、デンマークの王子クヌーズ・レーヴァートの妃)に、4分の1ずつ分け与えた。1114年には、カーンの教会への寄付の礼として、エタンプのテオバルドから手紙を受け取っている。
マルガレータは1130年11月4日に没した。サクソ・グラマティクスは、脚が激しくふくれ、どんな薬でも病を抑えられなかったと記しており、水腫が死因と伝えられる。その後、ニルスはスウェーデン王インゲ2世の寡婦ウルヴヒルと再婚した。彼女の死は、デンマークで続いた比較的平穏な時代の終わりを意味した。ニルスとの間に生まれた二人の息子のうち、インゲは幼いうちに没し、1106年ごろに生まれたマグヌスは、母の遺領を足場としてヴェステルイェートランドの支配者となり、スウェーデン王位を要求して、マグヌス1世として王位についた。1131年にマグヌスは従兄弟のクヌーズ・レーヴァートを殺してデンマークに内戦を招き、1134年にはマグヌスもニルスもフォテヴィクの戦いで命を落とした。
同じ年に亡くなった人物
- ミラレパ (1130年代没)
- Baldric of Dol (1130年)
- シグル1世 (ノルウェー王) (1130年)
- イブン・トゥーマルト (1130年没)
- ドメニコ・ミキエル (1130年(推定))
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。