HISTORICAL PERSON · 1911年没

フランシス・ゴルトン

イギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者。遺伝の研究から統計学の相関や回帰の概念を発展させ、近代的な優生学を創始した。最初の天気図を作成し、指紋による人物識別や犬笛の発明にも業績がある。

生涯
1911年没
死亡地
イギリス連邦(ハンプシャー / グレイショット)
出生地
イギリス連邦(スパークブルック)
出典
世界地図
イギリス連邦(ハンプシャー)

伝記

フランシス・ゴルトンは、1822年2月16日に生まれ、1911年1月17日に没したイギリスの人類学者、統計学者、探検家、初期の遺伝学者である。ゴールトンとも表記される。母方の祖父は医者で博物学者のエラズマス・ダーウィンで、チャールズ・ダーウィンは従兄にあたる。裕福なアマチュア科学者として、生涯と私財を研究に捧げた。遺伝の研究を通して統計学の相関や回帰の概念を発展させ、双子の研究により遺伝と環境を分けようと試みて、行動遺伝学の先駆けとなった。近代的な優生学の創始者でもあり、気象学では天気図を作った最初の人物とされる。指紋による人物識別の先駆的な研究や、人間に聞こえない音を出す犬笛の発明など、業績は多岐にわたり、1909年にはナイトに叙された。

父はバーミンガムの裕福な銀行家サミュエル・テルティウス・ゴルトン、母ビオレッタはエラズマス・ダーウィンの娘であった。1836年までバーミンガムのキング・エドワード・スクールに通い、同年からロンドンのキングス・カレッジで医学を学んだ。1838年には両親の圧力で薬学専門のバーミンガム総合病院に入り、1840年からケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで数学を学んだ。1844年、卒業後まもなく父が亡くなり、莫大な財産を相続した。これを機に、私財をもって自分自身の事業をなす活動を始めた。

1845年から1846年にかけてスーダン地方を旅し、1850年から1852年には、当時のヨーロッパにとって秘境だった南アフリカの奥地を探検した。スウェーデン生まれの冒険家チャールズ・ジョン・アンダーソンと出会い、二人で現在のナミビアを探検し、リヴィングストンらが発見したンガミ湖を探したが、見つからなかった。帰国後に『熱帯の南アフリカの冒険物語』を著し、1853年に王立地理学会から金メダルを贈られた。『旅行の仕方』(1855年)も書き始めた。1858年にはキュー天文台の台長となり、気象学で同じ気圧の点を結ぶ等圧線を書いた。最初の天気図を考案して高気圧の理論を打ち立て、1875年にタイムズ紙に最初の天気図が載った。

1859年、従兄ダーウィンの『種の起源』の出版に刺激を受けて、遺伝の問題の研究を始めた。この出会いは彼の人生を変えた出来事で、残りの人生の多くを、人間の集団の多様性とその意味の探求に捧げた。1869年の『遺伝的天才』では、優秀な人物415名とその肉親977名を選んで遺伝関係を調べ、知名人の子が優れた人物になる率は普通の人の子より約200倍も高いと結論した。人間の肉体や才能、性格を決めるのは社会環境ではなく遺伝形質であると主張した。1874年の『英国の科学者たち その生まれと育ち』では、190人の王立協会フェローにアンケートを行った。同じ年に、球を落として正規分布を示す装置クインカンクス(ゴルトンボード)を発明した。1875年にはスイートピーの育種実験を行い、子の種子の重さは、親よりも集団の平均に近づく傾向があることを見いだした。論文『双子の研究』(1875年)では、遺伝と環境の影響を比べ、遺伝が優位であると考えた。1883年の『人間の才能とその発達の研究』では、優生学という用語が作り出された。

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