伝記
エミリオ・サルガーリは、1862年8月21日にヴェローナで生まれ、1911年4月25日にトリノで没したイタリアの剣戟冒険小説の作家である。海を舞台にした冒険小説で知られ、イタリアにおけるSF小説の先駆者でもあり、その種の作品に『二十一世紀の驚異』(1907年)がある。日本語ではサルガリとも表記される。小商人の家に、父ルイージ、母ルイージャ・グラダーラの子として生まれた。1878年にヴェネツィアのパオロ・サルピ王立海洋技術学校に入ったが、大型沿岸船の船長の資格は得られなかった。海の経験は、練習船での数回の航海と、商船でアドリア海を3か月かけてブリンディジまで行った旅にとどまったらしい。本人は自伝でさらに多くの航海をしたと述べ、自らを「船長」と名乗ったが、そうした証拠はない。海軍士官になる企てに失敗したのち、探検と発見への情熱を執筆活動に向けた。
最初の作品は、1883年7月から『ラ・ヴァリジャ』紙に連載された短編であった。同じ1883年にはヴェローナの『ラ・ヌオーヴァ・アレーナ』紙に最初の長編が連載され、10月にはサンドカン連作の最初の版となる作品の連載が始まった。やがて同紙の記者の職を得て、1893年まで務めた。そのころ、新聞記者から記事で「若造」と呼ばれたのに怒って決闘を申し込み、相手を入院させて、自身は半年間投獄されるという騒ぎも起こした。1892年1月には舞台女優のイーダ・ペルッツィと結婚し、妻を、ヴェルディのヒロインにちなんで「アイーダ」と呼んだ。夫婦には4人の子が生まれ、家計は借金を重ねた。同年トリノに移り、少年向けの小説に強い出版社スペイラニで働いた。1898年にはジェノヴァに移り、のちに挿絵画家として作品を支えるジュゼッペ・ガンバと親交を結び、1900年にはトリノに戻った。1907年からは出版社ベンポラードで、没年までに19作の小説を書いた。
作品は、短編・長編あわせて200を超える冒険小説で、マレーシアの海賊サンドカンの連作、「黒い海賊」に始まるカリブ海の海賊の連作、西部開拓時代を舞台にした冒険など、エキゾチックな舞台と多様な文化圏から来た主人公たちの物語であった。イタリア語、ポルトガル語、スペイン語の国々ではきわめて人気があり、「イタリアのジュール・ヴェルヌ」と呼ばれる。サルガーリの本は数百万の読者に売れたが、出版社との契約は不利で、商才の不足もあって、極貧のままにとどまった。1903年ごろから妻が病気になり、医療費が借金に加わった。精神の不安定と妻の入院も重なり、1911年4月25日にトリノで自ら命を絶った。
大衆に人気があった一方、生涯とその後の20世紀のほぼ全体を通じて批評家からは避けられ、再評価と英訳の刊行が始まったのは1990年代の末のことだった。作品は無数の追随者に模倣され、イタリアの冒険文学は彼の延長にあるといわれる。50以上の映画が小説をもとにし、セルジオ・レオーネの描くアウトロー的主人公も、彼の海賊ものの影響を受けたとされる。フェリーニや、ウンベルト・エーコも愛読者であった。チェ・ゲバラは62冊を読んだといわれる。日本では『黒い海賊』が児童向けに翻訳されているにすぎない。
同じ年に亡くなった人物
- ジュアン・マラガイ (1911年没)
- ヴィルヘルム・ディルタイ (1911年没)
- エドワード・ウィンパー (1911年没)
- ユージン・バートン・イーリー (1911年没)
- カール・フレデリク・ヒル (1911年没)
同じ地域に関係する人物
- Agostino Richelmy (1923年没)
- Pitigrilli (1975年没)
- マリーア・テレーザ・ダウストリア=エステ (1832年没)
- グリエルモ・ペペ (1853年没)
- アデライデ・ディ・トリノ (1091年没)