HISTORICAL PERSON · 1913年没

ルドルフ・ディーゼル

ドイツの機械技術者・発明家。冷凍・製氷工場の設計を経て研究を進め、1893年に特許を取得し、圧縮着火式内燃機関のディーゼルエンジンを発明した。1913年に船旅の途中で失踪し、北海で死体が発見された。

生涯
1913年没
死亡地
フランス共和国(ジャージー / イギリス海峡)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(ジャージー)

伝記

ルドルフ・クリスティアン・カール・ディーゼルは、1858年3月18日にパリで、三人兄弟の二番目として生まれた、ドイツ人の機械技術者で発明家である。ディーゼルエンジンの発明で知られる。両親はバイエルンからの移民で、父テオドールはアウクスブルクの製本業からフランスに移り、パリで革製品の製造を生業とした。幼少期はフランスで過ごしたが、1870年に普仏戦争が勃発し、ドイツ人はフランスから退去させられた。一家はロンドンに移ったが、十二歳のルドルフは、ドイツ語を母語として教育されるよう、アウクスブルクの母方の叔父と叔母のもとへ送られた。叔父が数学を教える職業訓練学校に入学し、十四歳で技術者になりたいと両親に手紙を書いた。

1873年にトップの成績で卒業すると、アウクスブルクに新たに創立された工業学校に進んだ。二年後、両親は彼が就職することを望んだが、ミュンヘン工科大学から奨学金を受けられることになり、同大学に進学した。1879年7月に腸チフスにかかって留年し、卒業試験を待つ間、スイスのスルザー社で実地経験を得た。1880年1月にトップの成績で卒業するとパリに戻り、リンデの助手として冷凍・製氷工場の設計と建設を行い、一年後にその工場の工場長となった。1883年に結婚し、リンデで働いて、数々の特許を取得した。

1890年に妻子とともにベルリンに移り、リンデの研究開発部門の責任者に就いて、重役待遇を受けた。冷凍や冷蔵以外の分野にも研究を広げ、熱効率と燃費を研究するうちに、アンモニアの蒸気を使う蒸気機関を開発した。しかしこの機関は試験運転中に爆発し、ディーゼルは九死に一生を得て、何か月も入院し、その後も健康と視力に問題を抱えた。その後カルノーサイクルに基づく内燃機関の設計を始め、1893年に、蒸気機関と既知の内燃機関を置き換える合理的熱機関の理論と構築という論文を発表し、ディーゼルエンジンの基盤を築いた。同年に特許を取得した。蒸気機関では燃料から得られるエネルギーの九割が無駄になっていると知っていた彼は、もっと効率の高い機関を設計しようとした。最終的に取得した独自設計の圧縮着火式内燃機関では、燃料は圧縮行程の最後に注入され、吸気の圧縮で高温になったシリンダー内で着火する。

1893年から1897年まで、アウクスブルクの機械会社の重役ハインリヒ・フォン・ブズが、そのアイデアを発展させ評価する機会を提供した。当初は「オイル・エンジン」と呼ばれていたが、のちに彼にちなんでディーゼルエンジンと呼ばれるようになり、安価な石油や重油を燃料とする効率のよい機関として、たちまち世界中で利用された。ディーゼル本人は粉炭や植物油を燃料にすることも考えていた。

1913年9月29日の夕刻、ロンドンでの会議のためアントウェルペンから郵便蒸気船ドレスデン号に乗り、船上で夕食をとったあと、翌朝6時15分に起こしてくれと言い残して、午後10時ごろ自室に戻った。しかし翌朝には彼の部屋は無人で、ベッドを使った形跡がなく、腕時計はベッドの左に外して置かれ、帽子とオーバーは後甲板の手摺の下に畳まれていた。十日後、オランダ船の乗組員が北海で死体を発見し、腐敗がひどく引き上げられなかったが、ピルケースや財布などを回収し、同年10月13日に息子が父のものだと確認した。死についての様々な推理のうち、伝記作者は自殺の可能性が高いとし、陰謀論もあるが、いずれも証拠に乏しい。失踪直後、妻は渡された鞄を開け、中に二十万マルクの現金と預金口座が空になったことを示す書類を見つけた。

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