伝記
シビーユ・ド・ブルゴーニュは、カペー家の流れをくむブルゴーニュ家の公女で、結婚によってシチリア王妃となり、ルッジェーロ2世の2番目の妃となった女性である。1126年ごろに生まれた。父はブルゴーニュ公ユーグ2世、母はマイエンヌ家のマティルドで、母方の祖父はマイエンヌ伯ゴーティエ、祖母はアドリーヌである。父方の祖父はブルゴーニュ公オド1世、祖母は同じくシビーユの名で知られたマティルドである。母マティルドは、トゥレンヌ子爵ボゾン1世の娘とされる。シビーユは両親の3番目の娘で、8番目の子にあたる。11人いた兄弟姉妹のなかには、ドンジー領主ジョフロワ3世に嫁いだクレマンス、父の跡を継いだオドン2世、ともにオータン司教となったロベールとアンリ、グリニョン伯でアニェス・ド・ティエルンと結婚したレモン、モンペリエ領主ギヨーム7世に嫁いだマティルドらがいた。
1149年、シビーユは、1130年にシチリア王となっていたルッジェーロ2世と結婚した。王にとっては2度目の結婚で、最初の妻のエルビラ・デ・カスティーリャとのあいだには子があった。ルッジェーロ2世は、ルッジェーロ1世とアデライデ・デル・ヴァストの子である。結婚の年の8月29日に、シビーユは息子のアンリを産んだが、この子は若くして亡くなった。翌1150年にふたたび身ごもり、9月16日に産んだ男の子は死産だった。シビーユはお産の合併症のために、サレルノで亡くなった。その日は1150年9月16日とも19日ともいわれ、1151年とする説もある。
遺骸はカーヴァ・デ・ティッレーニの至聖三位一体修道院に葬られた。ルッジェーロ2世は、遺骸をベネディクト会の修道院長マリーノに託し、修道士たちは、聖アルフェーリオの洞窟のなかに、モザイクでおおった墓をつくって納めた。いまも修道院には、墓のモザイクの断片と、再利用されたローマ時代の石棺、王妃の大理石の頭部が残っている。ルッジェーロ2世は、その返礼として、見事なモザイクの説教壇を修道士たちに贈り、これは今も修道院の聖堂で輝いている。夫妻のあいだに残った子はなかった。シビーユの死後、王は数か月ののちに、ベアトリス・ド・レテルと再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- アーヘンのアルベルト (1150年(推定))
- バースのアデラード (1150年代没)
- マルカブリュ (1150年(推定))
- ハインリヒ=ベレンガル (1150年没)
- 熙宗 (金) (1150年没)
同じ地域に関係する人物
- ベアトリス・ド・プロヴァンス (1267年没)
- グレゴリウス7世 (ローマ教皇) (1085年没)
- アルフォンソ・デ・リゴリ (1787年没)
- ミケーレ・ルッジェーリ (1607年没)
- ヘルマン・フォン・ザルツァ (1239年没)