伝記
クヌーズ5世は、デンマーク王(在位1146年から1157年)で、スヴェン3世、ヴァルデマー1世と立場を変えながら共同で王位にあった人物である。1129年ごろ(1130年とする説もある)に生まれた。父は、デンマーク王ニルスの息子でスウェーデン王のマグヌス1世、母はポーランド王ボレスワフ3世の娘リクサである。
1146年にデンマーク王エーリク3世が退位すると、ユトランド半島の貴族たちがクヌーズを王に立てた。一方、シェラン島とスコーネの貴族たちは、クヌーズ・ラヴァードの甥であるスヴェン3世を王とした。クヌーズ・ラヴァードは、1131年にクヌーズ5世の父マグヌスが殺した人物であった。こうしてデンマークは内戦となり、クヌーズはシェラン島を攻めたが成功しなかった。1147年には、ふたりでヴェンド十字軍に出たが、その後ふたたび争いが始まった。1150年に、スヴェンと、クヌーズ・ラヴァードの子である従弟のヴァルデマーによってユトランドで敗れ、スウェーデンへ逃れたとも、ドイツへ亡命したともいわれる。その後、何度か領地の奪回を試みたがすべて失敗し、ドイツ王フリードリヒ1世に助けを求めた。1152年にはフリードリヒ1世への忠誠を誓い、その調停でスヴェン3世の下位の共同統治者とされたが、スヴェンはこの取り決めを実行しなかった。
1154年、クヌーズはヴァルデマー、スウェーデン王スヴェルケル1世と同盟を結んだ。スヴェンはデンマークから逃げ出し、クヌーズはヴァルデマーと共同で治めることにしたが、ヴァルデマーより下の立場の王であった。1156年にスヴェルケル1世の娘ヘレナと結婚したが、子はなかった。庶子は3人か4人で、のちにシュレースヴィヒ司教、ブレーメン大司教となったヴァルデマーなどがいる。
スヴェンがデンマークにもどると、貴族たちは兄弟どうしの争いに疲れていたため、1157年に最終的な和睦が成り、スヴェン、クヌーズ、ヴァルデマーの3人が共同統治者となった。クヌーズはシェラン島とフュン島を治めることになった。その1157年8月9日、ロスキレで開かれた和平の祝宴で、スヴェンは、クヌーズとヴァルデマーの二人を殺そうとした。クヌーズはスヴェンの戦士の手で殺されたという。この事件は「ロスキレの血祭り」と呼ばれる。ヴァルデマーは逃げのび、クヌーズの異父妹ソフィアと結婚し、同じ年にグラーテ・ヘーゼの戦いでスヴェンを討って、デンマークを手に入れた。
同じ年に亡くなった人物
- アルフォンソ7世 (カスティーリャ王) (1157年没)
- ディルク6世 (ホラント伯) (1157年没)
- エイステイン2世 (ノルウェー王) (1157年没)
- ラミロ2世 (アラゴン王) (1157年没)
- 尊者ピエール (1157年)
同じ地域に関係する人物
- ジュリウス・ピーターセン (1910年没)
- マリー=ガブリエル・ド・リュクサンブール (2023年没)
- オットー・バッケ (1927年没)
- マルタ・ア・ダンマーク (1341年没)
- ベレンガリア・デ・ポルトゥガル (1221年没)