HISTORICAL PERSON · 1916年没

ジャック・ロンドン

クロンダイクのゴールドラッシュでの体験をもとに『野性の呼び声』を書いた。社会主義運動にも参加し、約20年で40冊以上の書籍を著した。

生涯
1916年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / グレン・エレン)
出生地
アメリカ合衆国(サンフランシスコ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジャック・ロンドンは、出生名をジョン・グリフィス・チェイニーといい、1876年1月12日にカリフォルニア州サンフランシスコで生まれたアメリカ合衆国の作家であり、ジャーナリスト、社会活動家である。母は音楽教師や心霊術師として活動していたフローラ・ウェルマン、父は占星術師で弁護士のウィリアム・チェイニーとされる。チェイニーは、フローラの妊娠を知ると中絶を要求して立ち去り、出生後も自らの子と認知しなかった。フローラは精神的に不安定となり、出産後は隣人で元奴隷の黒人女性プレンティスが乳母となった。1877年、母は南北戦争の退役軍人で大工のジョン・ロンドンと結婚し、義父の姓を名乗って育った。一家の経済状況は不安定で、農場経営や下宿屋などを転々とする困窮した環境だった。長らくジョンを実父と信じていたが、1897年、カリフォルニア大学バークレー校の学生だったときに、新聞記事から実父の存在を知り、チェイニーへ手紙を送ったが、実父であることを否定された。

一家は1886年にオークランドへ転居した。ロンドンは、少年期の多くをプレンティス家で過ごした。家計を助けるため、新聞配達や氷の配達、ボウリング場のピン立てなどの労働に従事した。10歳のころから、ウォーターフロントの酒場に出入りし始め、店主は辞書を買い与え、17歳のときには大学進学の学費を貸してくれた。13歳ごろからは、鮭缶詰工場で1日12時間から18時間の労働に従事した。15歳のとき、プレンティスから資金を借りて、カキ密漁者からスループ船を購入し、カキの密漁を始めると、港の荒くれ者たちの間で「カキ床の王子」の異名で呼ばれた。1892年には、密漁を取り締まる水産取締官となった。翌1893年にはアザラシ狩り船の乗組員として太平洋を横断し、日本や小笠原諸島へ渡航した。帰国後、母の勧めで新聞社のコンテストに応募し、航海中の体験をもとに書いた『日本沿海台風記』が1等を獲得した。これが、最初に出版された作品となった。

1894年、世界恐慌の最中に失業者の行進に参加したが、途中で離脱して、無賃乗車を繰り返しながらホーボーとして全米各地やカナダを流浪した。同年6月、バッファロー近郊で拘束され、浮浪罪で有罪となり、30日間収監された。1896年に社会労働党に入党し、街頭演説を行った。同年、カリフォルニア大学バークレー校に入学したが、経済的困窮のため翌年に中退した。1897年7月、クロンダイクのゴールドラッシュに参加するために出航し、翌年7月に壊血病のためユーコンから帰国した。この体験について、自分自身を見出し、物事の見識を得た場所だったと後に回想している。1900年に初の短編集『狼の息子』が出版された。同年、ベス・マッダーンと結婚して、長女が誕生した。

1902年にはイーストエンドの貧民街で潜入取材を行い、翌1903年に『どん底の人びと』として刊行した。同年に『野性の呼び声』を発表し、『サタデー・イブニング・ポスト』に連載して、単行本としても出版された。1904年には日露戦争の取材に向かったが、日本軍の報道規制のなか、スパイ容疑で一時拘束された。1907年には、自ら設計・建造したスナーク号で世界一周の航海に出たが、健康悪化のため、1908年12月にシドニーで旅を終えた。同年、ディストピア政治小説『鉄の踵』が刊行された。1913年には、建設中の巨大な石造邸宅が全焼し、虫垂切除手術の際には、深刻な腎臓機能障害を宣告された。40冊以上の書籍と、1000本を超える記事や短編を書き、1916年11月22日に没した。

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