伝記
ブリハドラタ・マウリヤは、古代インドのマウリヤ朝の最後の君主である。在位は紀元前187年から紀元前180年とされるが、紀元前185年までとする説明もあり、在位年は一定しない。マウリヤ朝の第9代皇帝と数えられ、父はシャタダンヴァンである。
プラーナ文献によれば、ブリハドラタは父シャタダンヴァンから王位を継ぎ、7年間統治したという。即位した時、王都パータリプトラを中心とするマウリヤ朝の領土は、アショーカ王の時代に比べて大きく縮小していた。領土は首都の周辺に集中していたとされる。彼は当時インドの主要な宗教となっていた仏教に忠実だったともいわれる。
在位中の出来事として、北西インドへのグレコ・バクトリア王国の進出が語られる。紀元前190年から186年のあいだ、あるいは紀元前186年に、バクトリアのギリシア人の王デメトリオス1世の軍が北西インド、現在のアフガニスタンやパキスタンにあたる地域を攻め、カブール渓谷とパンジャーブの一部に支配を打ち立てたとされる。マウリヤ朝はギリシア人と外交上の同盟関係にあり、グレコ・バクトリア側もマウリヤ朝を同盟者とみなしていたかもしれないと推測されている。また、インド在住のギリシア人を守るために侵攻したのではないかとの見方もある。スリランカの僧侶が伝える年代記パランパラプスタカには、デメトリオスが娘ベレニケをブリハドラタに嫁がせたとの記述がある。『ガルギ・サンヒター』のユガ・プラーナの部分は別の姿を描く。それによれば、ブリハドラタの治世にダンマミタ、すなわちデメトリオスの率いるヤヴァナ(ギリシア系)の軍がマウリヤ領に侵入し、パンチャーラ地方やサーケータ、マトゥラーを占領して、ついにパータリプトラを手に入れた。しかしほどなくバクトリアへ引き返し、激しい戦いに臨まなければならなかった。この戦いは、おそらくエウクラティデス1世との争いであろうとされる。パータリプトラ侵攻はユガ・プラーナに基づく仮説にとどまる。
ブリハドラタは紀元前180年ごろ、自身の将軍であるバラモンのプシュヤミトラ・シュンガによって殺害された。ただし没年は紀元前185年から紀元前180年のあいだとも説明される。バーナバッタの『ハルシャチャリタ』によれば、軍の最高司令官プシュヤミトラは、軍の力を見せるという口実で全軍を王の前に行進させ、その場で主君を討ったという。プシュヤミトラは王を軍の面前で殺し、みずから新しい支配者となった。その理由は、ブリハドラタが約束(おそらくヤヴァナを退けること)を果たすには弱すぎたからだとされる。タキシラで暗殺されたとする記述もある。
プシュヤミトラはシュンガ朝を創始した。ヒンドゥー教徒のバラモンであった彼の王朝は、アショーカ王の時代から約40年のあいだ止んでいた仏教徒や非ヒンドゥー教徒への迫害を再開したとされる。ブリハドラタの死によって、マウリヤ朝は幕を閉じた。
同じ年に亡くなった人物
- スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス (紀元前186年の執政官) (紀元前180年没)
- ガイウス・セルウィリウス・ゲミヌス (紀元前180年没)
- 少帝弘 (紀元前180年没)
- デメトリオス1世 (バクトリア王) (紀元前 180年(推定))
- プトレマイオス5世 (紀元前180年没)
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