HISTORICAL PERSON · 1918年没

エドモン・ロスタン

フランスの韻文の劇作家。戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として特に知られ、アカデミー・フランセーズ会員となった。

生涯
1918年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(マルセイユ)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

エドモン・ウジェーヌ・アレクシ・ロスタンは、1868年4月1日にマルセイユで生まれたフランスの韻文の劇作家で、戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』の作者として特に知られる。商業と銀行業を営む裕福な家に生まれ、父ウジェーヌは弁護士で経済学者、母アンジェルは裕福な化学製品製造業者の娘であった。1870年の普仏戦争から翌年のパリ・コミューンに至る騒擾を避けて、父は一家を、ピレネーの山ふところの温泉地バニェール=ド=リュションに連れて行った。エドモンは、22回以上の夏をここで過ごし、その雄大な風景から最初の作品の着想を得た。マルセイユのリセ・ティエールでは、フランス語作文や歴史、ラテン語で多くの賞を得た。友人と新聞を作り、ユゴーやシェイクスピア、セルバンテスを熱心に読み、ゴーティエの一節からシラノ・ド・ベルジュラックという作家を知った。

1884年にパリに出て、コレージュ・スタニスラスで2年学んだ。教師の一人はゲーテを朗読し、別の教師は17世紀の作家を称えた。バカロレアを取ったのち、外交官にしたい父によって法学部に進み、学士号を得たが、弁護士の登録をしても開業せず、詩に専念した。ルコント・ド・リールやジュール・ルナールらと交わった。1887年にはマルセイユのアカデミーに、二人の南仏の小説家についての評論を出して賞を受けた。1888年に、義兄との共作で最初の戯曲『赤い手袋』をクリュニー座で上演したが、不評に終わった。1890年に詩集『手すさび』を私費出版した。

その年、2歳年長の詩人ロズモンド・ジェラールと結婚した。代父はルコント・ド・リール、後見人は、アレクサンドル・デュマ・フィスであった。1891年に長男モーリス、1894年に次男ジャンが生まれ、モーリスは作家に、ジャンは生物学者になった。1894年には、恋の幻滅と再生を描く三幕の韻文喜劇『ロマネスク』をコメディ・フランセーズで上演し、その叙情性が好評を呼んだ。次いで、中世の吟遊詩人の悲恋物語『遠い国の姫君』をサラ・ベルナールのために書いたが、成功しなかった。1897年に、また彼女のために書いた三幕の聖書劇『サマリアの女』は、ルネサンス座で上演して成功した。

そして、鼻が大きすぎて愛されないと信じている才人貴族を描いた『シラノ・ド・ベルジュラック』で、生涯最大の当たりをとった。サラ・ベルナールの紹介で知り合った俳優コクランに依頼された五幕の韻文劇で、1897年12月28日にポルト・サン=マルタン座で初演され、今に至るまで各国で頻繁に上演されている。その後、1900年にナポレオン2世の悲運を描く『鷲の子』を、1910年には鳥ばかりが登場する寓意的な『東天紅』を上演したが、世評は『シラノ』に遠く及ばなかった。時代を先取りしすぎたとの見方が、後年に行われている。

1901年5月30日にアカデミー・フランセーズの会員に選出された。1915年に女優マリー・マルケとの関係が原因で、妻と離婚した。1918年12月2日、スペイン風邪のためパリで死去した。享年50歳であった。故郷マルセイユの墓地に眠る。遺作は『ドン・ファンの最後の夜』で、1921年に出版された。

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