HISTORICAL PERSON · 1187年没

クレモナのジェラルド

イタリア出身の学者で、トレドで学び、12世紀に多くのアラビア語の学術書をラテン語に訳した「トレド翻訳学派」の代表。『アルマゲスト』や『原論』などを訳し、訳書は知られるだけで71種に及ぶ。

生涯
1187年没
死亡地
スペイン王国(トレド県 / トレド)
出生地
イタリア共和国(クレモナ)
出典
世界地図
スペイン王国(トレド県)

伝記

クレモナのジェラルドは、1114年ごろに生まれ、1187年に没したイタリアの学者で、12世紀に多くのアラビア語の学術書をラテン語に翻訳した。トレド翻訳学派の中で最も重要な翻訳家であり、「12世紀ルネサンス」を代表する人物とされる。13世紀にも、同じ名で呼ばれる別の翻訳家がいて、こちらは薬学や医学の書を訳した。

ジェラルドは、北イタリアのロンバルディアのクレモナに生まれた。イタリアの師たちの学問に満足できず、スペインのトレドに赴いた。その年ははっきりしないが、1144年より前とされる。トレドで、まずアラビア語を学んだが、その目的は、学者の間で伝統的に高い評価を得ていたプトレマイオスの『アルマゲスト』を読むことにあった。この書は、彼がカスティーリャへ発つ前には、まだラテン語訳が知られていなかった。当時のトレドは、1085年にカスティーリャ王アルフォンソ6世がイスラムから奪い返した後で、キリスト教徒にとって安全な土地となっており、ユダヤ人やムスリムの大きな居住区が保護され、アラブとヘブライの文化の中心として栄えていた。ラビのアブラハム・イブン・エズラらの有名な学者もトレドにいた。図書館と写本にあふれ、キリスト教徒がアラビア語やアラブ文化に触れられる、中世ヨーロッパでは数少ない場所であった。ジェラルドは、トレドで残りの生涯を、アラビア語の学術書のラテン語訳に捧げ、トレドで没した。

1175年ごろ、ジェラルドは、トレドで見つけたアラビア語の版から、プトレマイオスの『アルマゲスト』を訳した。ジェラルドは知らなかったが、1160年ごろに、シチリアで、ギリシア語の原典からの、より早い翻訳が作られていた。しかし、中世を通じて広く用いられたのは、ジェラルドの訳で、15世紀にトレビゾントのゲオルギオスやレギオモンタヌスがギリシア語の原典から訳し直すまで、西ヨーロッパ唯一の訳書であった。『アルマゲスト』は、コペルニクスの理論が現れるまで、西洋の天文学の基礎の位置を占めた。ジェラルドは、アッ・ザルカーリーらが作った天文表『トレド表』を、ラテン語の読者向けに編んだ。アリストテレスに次ぐ「第二の師」と呼ばれたアル・ファーラービーの『諸学の分類』は『科学について』として訳した。エウクレイデスの『原論』や、アル・ファルガーニーの天文学書、テオドシウスの『球面学』、アルキメデスの論文、ガレノスやヒポクラテスなどの医学書も訳した。弟子たちが作った目録で知られているだけで71種、全体で87冊のアラビア語の著作を訳したともいわれ、中世を通じて「最も熱心で多作」な翻訳家と評される。ジェラルドは、代数学、算術、占星術についての独自の論文も著した。歴史家のエドワード・グラントは、彼を「西洋の翻訳家の中で最も偉大」と呼んだ。

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