伝記
ジョン・ボイド・ダンロップは、1840年2月5日にスコットランドのノース・エアーシャーのドレグホーンで、農家の息子として生まれ、1921年10月23日にダブリンで没した、スコットランドの発明家であり獣医師である。キャリアの大部分をアイルランドで過ごした。エディンバラの獣医大学(現在のエディンバラ大学の一部)で獣医師の勉強をし、1867年にアイルランドのダウンパトリックに移った。早くに、自分は予定より2か月早く生まれたと聞かされ、体が弱いと思い込み、生涯それに沿ってふるまったが、81歳の10月に風邪をひくまで、重い病気にはかからなかったという。1871年にマーガレット・スティーヴンソンと結婚し、一男一女をもうけた。弟のジェームズとダウンパトリックで獣医の診療所を開いたのち、ベルファストのメイ・ストリートに移り、1880年代半ばには、アイルランドで最大級の診療所となった。
ダンロップは、ゴム製品を作る知識を持っていたが、アイルランドを馬車で旅した際に、木製や固形ゴムの車輪のために乗り心地が悪く、不快な思いをした。この体験が、乗り心地のよい空気入りのタイヤを発明する決意につながった。息子は三輪車で転んでばかりいた。病気の牛の腸がガスで膨らんでいたことを思い出し、1887年10月、息子の三輪車で、空気入りのチューブ式タイヤの実験を行った。ゴムの薄板で作った空気入りのチューブを、自宅の庭で、直径96センチの木の円盤に取り付けた。この車輪と、三輪車の金属の車輪を並べて転がすと、金属の車輪が止まっても、空気入りの車輪は転がり続け、門柱に当たって跳ね返るまで進んだ。そこで三輪車の両方の後輪に空気入りタイヤを付けたが、これもよく転がった。さらに自転車用の大きなタイヤに移り、「さらに驚くべき結果」を得た。1888年12月7日に特許が認められた。
1889年、自転車クラブの主将ウィリー・ヒュームは、空気入りタイヤを付けた自転車で、5月18日にベルファストのクイーンズ・カレッジの競技会の四つの自転車競技を全部勝ち、少しあとのリヴァプールでも、ほぼ全勝した。敗れた中には、アイルランド自転車協会会長ハーヴェイ・デュ・クロスの息子たちもいた。これを見たデュ・クロスはダンロップと結びつき、二人でダンロップ・ラバー株式会社などの会社を設立した。しかし、ダンロップが特許を得て2年後、空気入りタイヤは、スコットランド人ロバート・ウィリアム・トムソンが、1840年代にフランスと米国で、すでに特許を取っていたことが分かり、特許は無効とされた。1892年には診療所を引退してダブリンに移り、1895年には会社から退いた。その後はタイヤやゴム事業に関心を持たなかった。自らの発明から、それほどの利益は得られなかったが、空気入りタイヤは、道路輸送の発展の決定的な時期に現れた。自動車用タイヤの製造は1900年に始まり、彼の引退後のことだった。自動車殿堂入りを2005年に果たし、北アイルランドの銀行が発行する10ポンド紙幣に肖像が使われた。死去したのはダブリンのボールズブリッジの自宅で、ディーンズ・グランジ墓地に埋葬された。
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