HISTORICAL PERSON · 1925年没

ルドルフ・シュタイナー

オーストリアやドイツで活動した思想家・教育者。神秘思想の講演者に転じて人智学という精神運動を創唱し、ユングやクレーらにも影響を与えた。

生涯
1925年没
死亡地
スイス連邦(ゾロトゥルン州 / ドルナハ)
出生地
クロアチア共和国(クラリェヴェク)
出典
世界地図
スイス連邦(ゾロトゥルン州)

伝記

ルドルフ・シュタイナーは、1861年2月27日に生まれ、オーストリアやドイツで活動した思想家、哲学者、教育者、作家である。20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。22歳の学生のときに、ゲーテの自然科学に関する著作を校訂して序文を書く仕事を依頼され、13年かけて完成させた。その成果は1897年に叢書『ドイツ国民文学』の第一巻として出版され、識者から高く評価された。ロストック大学で哲学の博士号を取得し、学位論文『真理と科学』を出版した。1894年に『自由の哲学』を、5年後にはゲーテ研究の集大成として『ゲーテの世界観』を出版したが、哲学の研究者からはほとんど評価されなかった。『自由の哲学』は、あらゆる哲学の試みを検討しつつ、その欠陥を確定し、別の観点を試みたもので、自由とは、より多くのものの見方を得た時にのみ得られる、と示唆している。

ゲーテの自然科学論や学芸雑誌の編集に携わりながら、前衛的な団体やアナキズムの傾向をもつ人々と関係するようになり、ニーチェ主義的な自由思想の立場に至ったが、のちに神秘思想の講演者に転身した。1900年ごろからドイツの神智学サークルと関係するようになり、1902年に神智学協会の正会員となって、同年ベルリンで神智学協会ドイツ支部が設立されると、その書記長に選ばれた。キリスト教に対する立場の違いから、神智学協会内で対立が起こり、1912年に同協会を脱退して、友人らによって設立された人智学協会の指導にあたった。晩年の1923年末には「一般人智学協会」を創設して代表に就き、亡くなるまで活動を続けた。

人智学は、物質世界を超えた超感覚的世界に関する学問である。人間の通常の五感では事物の表面しか捉えられず、五感を超えた高次の感覚によって初めて本性を把握できるという。彼は透視能力を持っていたといわれ、それに基づいて人智学を創始し、人類の霊的向上を促そうと啓蒙を行った。霊媒や降霊術のように、理性的な思考から離れて感情に没入する神秘主義は、科学的でないと警鐘を鳴らし、霊的な事柄も、理性的な思考を伴う科学的な態度で探求することを重んじた。誰でも「超感覚的認識」を獲得できると考え、毎日15分の瞑想と集中の行をすれば、見霊能力が発現すると主張した。生涯で6千回にも及ぶ講演を行い、そのテーマは教育、芸術、医学、農業、建築、経済など、多方面にわたった。

第一次世界大戦後には、社会問題の解決策として「社会有機体三分節化」運動を提唱した。精神生活、法生活、経済生活の三つが独立しながら有機的に結びつくことが、健全な社会のあり方だと説き、精神生活では自由を、法生活では平等を、経済生活では友愛を原則とした。当時の国家の指導者たちに提案したが、採用されるには至らなかった。1970年代後半から再び検討され、1980年代の西ドイツの緑の党の創立理念にも影響を与えた。1919年にはシュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として、自由ヴァルドルフ学校が開校された。工場で働く労働者の子弟が生徒で、初等・中等教育と職業教育を行う総合学校の形をとった。このタイプの学校は、ドイツ内外で次々に設立され、日本ではシュタイナー教育と呼ばれる。1922年には弟子のルター派の牧師の主導で、独自のキリスト教思想に基づく「キリスト者共同体」が設立された。カール・グスタフ・ユングやパウル・クレー、アルベルト・シュヴァイツァーにも影響を与えた。1925年に没した。

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