伝記
マルクス・フリウス・ビバクルスは、共和政ローマ最後の世紀に活動したラテン語の詩人で、新詩人(ネオテリコイ)の一人に数えられる。風刺詩で知られ、紀元前1世紀の人物とされる。作品は断片しか残っていない。生年については、ヒエロニムスが紀元前103年(または102年)にクレモナで生まれたと伝えている。しかし研究者の多くはこの年代を早すぎるとみており、カトゥルスと同時代の人物だったと考えられている。ニッペルダイは、少なくとも20年ほど下げるべきだと主張した。スエトニウスが、スッラの時代に少年だった文法家ウァレリウス・カトーを「ほとんど極みの老齢」と記していること、またオルビリウスについての詩句の内容が理由である。ビバクルスの名は「大酒飲み」を意味するビバクスの指小形で、フリウス氏族に伝わる通称であったが、大プリニウスは、実際に彼が酒を好んだと記している。
詩風はカトゥルスに近く、風刺的な詩をカトゥルスにならって書いた。クィンティリアヌスは、イアンボス詩におけるその辛辣さがカトゥルスに匹敵すると述べている。カトゥルスが詩の中で何度か呼びかけるフリウスという友人が彼ではないかとも推測されるが、確かな証拠はなく、カトゥルスとの個人的な関係も確実には示せない。一方でビバクルスは、新詩人の一人としてウァレリウス・カトーの弟子とされ、カトーへの優しい称賛に満ちた11音節詩も残っている。短い詩の中には、文法家ルキウス・オルビリウス・ピュピッルスを辛辣に攻撃したものが一つあり、カトーに向けた害のない詩が二つ伝わっている。
彼は最高権力者さえ標的にした。タキトゥスによれば、ビバクルスとカトゥルスの詩は皇帝家への侮辱に満ちていたが、神君ユリウスも神君アウグストゥスもこれを受け流して放っておいたという。このことから、ビバクルスがアウグストゥスを攻撃したと見られ、長寿だったと推測する説もある。ユリウス・カエサルへの攻撃もあったかもしれない。
著作としては、散文の『ルクブラティオネス(夜の仕事)』が確実に知られている。大プリニウスはこの題名を、ラテン文学で最も愉快な題名の一つと評し、書名を戯れにビバクルスの名前に結びつけた。キケロが『フラックス弁護』の公刊の際に削った機知についての記述も、この書に由来するとみられる。また、ガリア戦争を扱った叙事詩『ガリア戦争記(プラグマティア・ベリ・ガリキ)』を書いたとされ、数行の詩句が残る。この詩はカエサルの戦いを扱ったはずで、作者自身が遠征に従軍したのかもしれないという推測もある。さらに、メムノンの生と死を扱った『アイティオピス』や、アルプスとライン川を描いた詩の作者として、ホラティウスが「膨れ上がったアルピヌス」と嘲った人物を、ビバクルスと同一人物とみる説もある。この説では、ホラティウスが「メムノンを殺した」「ライン川の泥の頭を裂く」と皮肉った作品が、彼の叙事詩にあたる。ただし、ホラティウスが風刺詩で嘲笑するフリウスが彼かどうかは定まらず、危険な相手をホラティウスが攻撃するはずがないとして、本名がフリウス(またはコルネリウス)のアルピヌスという別の詩人がいたと考える批評家もいる。
その文体は、大げさで誇張が多いと嘲られた。古代にはホラティウス、カトゥルス、ルキリウスと並べて論じられた。作品の断片は、ミュラーが編んだカトゥルス全集(1870年、トイプナー叢書)などに収められている。
同じ年に亡くなった人物
- ユリア (紀元前100)
- Quintus Claudius Quadrigarius (紀元前 100年(推定))
- ソシゲネス (紀元前 100年(推定))
- ルキウス・コルネリウス・バルブス (紀元前40年の補充執政官) (紀元前 100年(推定))
- アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前38年の執政官) (紀元前 100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- エッチェリーノ3世・ダ・ロマーノ (1259年没)
- イッポーリタ・マリーア・スフォルツァ (1484年没)
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- Anthony Maria Zaccaria (1539年没)
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