伝記
ユリア・マヨルは、共和政ローマの独裁官ユリウス・カエサルの姉である。大ユリアとも呼ばれ、後にプロコンスルとなる父ガイウス・ユリウス・カエサルと母アウレリアのあいだにローマで生まれた三人の子の第一子だった。正確な生年は分からないが、末の弟ガイウスの誕生が早くても紀元前102年であり、二人の間にもう一人の姉妹がいたことから、紀元前103年より前の生まれだったとほぼ確実に考えられている。当時の慣習で名は父の氏族名ユリウスの女性形であり、妹のユリア・ミノルと区別するために「マヨル (年長の)」が添えられた。
生涯についてはほとんど知られていない。ピナリウス家の者とペディウス家の者と、二度結婚した可能性があるが、その順序は分かっていない。ピナリウス家は非常に古いパトリキ(貴族)の家柄である。伝記作家スエトニウスが言及する彼女の二人の孫、ルキウス・ピナリウスとクィントゥス・ペディウスは、カエサルの遺言で相続人に指名された人々である。同じく指名された妹ユリア・ミノルの孫ガイウス・オクタウィウスとは従兄弟にあたる。キケロの友人ティトゥス・ピナリウスも、おそらくもう一人の孫でルキウスの兄弟だったとされる。一方で、ルキウスとクィントゥスは孫ではなく彼女の息子だったと唱える研究者もいる。クィントゥス・ペディウスは後に執政官になった人物である。遺言では、カエサルの財産の一部がこれらの人々に残され、彼らはその相続分をオクタウィアヌス(後のアウグストゥス)に譲ったという。
紀元前61年には、不敬の罪で告発されたプブリウス・クロディウス・プルケルに不利な証言をした者の中に、カエサルの母と姉妹の一人がいた。ただし、それが姉のユリア・マヨルか妹のユリア・ミノルかは分かっていない。事件の発端は、男子禁制のボナ・デアの祭りだった。カエサルの妻ポンペイアがその主催を買って出ていたが、クロディウスは女装して家に入り込み、ポンペイアを誘惑しようとしたとされる。クロディウスは無罪となったものの、当時最高神祇官だったカエサルは、妻は疑いを受けること自体があってはならないと述べてポンペイアと離婚した。
ユリア・マヨルは紀元前100年に没したとされる。
同じ年に亡くなった人物
- コンミウス (紀元前 100年(推定))
- Pasiteles (紀元前100)
- アリオバルザネス1世 (紀元前100)
- アルケラオス (軍人) (紀元前 100年(推定))
- グナエウス・ポンペイウス・トログス (紀元前 100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- アウグスト・ジェニーナ (1957年没)
- ステファヌス7世 (ローマ教皇) (931年没)
- エンニウス (紀元前169年没)
- エーリヒ・プリーブケ (2013年没)
- フェリーチェ・デッラ・ローヴェレ (1536年没)