伝記
ヨハネス・フィビゲルは、1867年4月23日、デンマーク中部のシルケボーに生まれた病理学者である。英語読みではフィビガーとも表記される。父は土地の医師、母は著述家で、次男にあたり、聖職者で詩人でもあった同名の叔父にちなんで名づけられた。3歳のときに父が内出血で亡くなり、一家はコペンハーゲンへ移った。母は執筆で生計を立て、同地で最初の料理学校を開いたという。叔父が学業を支え、16歳でコペンハーゲン大学に入って動物学と植物学を学び、教えたり研究室で働いたりして自活した。のち医学へ進み、1890年に医師の資格を得た。
数か月間いくつかの病院で医師として働いたあと、ベルリンへ留学し、ロベルト・コッホとベーリングのもとで細菌学を学んだ。1891年から1894年までコペンハーゲン大学の細菌学教室で助手を務め、1894年からはデンマーク陸軍の軍医団に加わって1897年まで勤めた。この軍務のあいだにジフテリアの細菌学に関する博士論文を仕上げ、1895年に学位を受けている。ジフテリア菌に二つの型があることを見いだし、これらがそれぞれ鼻咽頭型と皮膚型のジフテリアにあたるとされる。また、血清を作って、ブレズダム病院に若手医師として勤めながら、484人の患者に試した。血清を使った患者と使わなかった患者を分けて比べ、使わなかった患者のほうが多く死んだことを確かめた。この1898年の試験は、のちに対照を置く臨床試験の始まりと見る向きもある。1897年に病理解剖学研究所の解剖助手に任じられ、1900年にコペンハーゲン大学の病理解剖学教授となり、研究所の所長も務めた。
1907年、結核を研究する過程で、ドルパート(現在のエストニアのタルトゥ)から集めた野生のネズミの胃に腫瘍があるのに気づいた。腫瘍のあるネズミには線虫とその卵もあり、転移するものもあったという。線虫が胃癌の原因だと考え、線虫に感染したゴキブリをネズミに与えると高い確率で胃癌が起こることを確かめ、1913年に世界で初めて人工的に癌を作り出したことになるとされた。さらにネコに寄生する条虫を使って、ネズミに肝臓の肉腫を起こすことにも成功した。当時はウィルヒョーの反復刺激説が議論されており、この仕事はその有力な証拠とされた。1926年にコペンハーゲン大学の総長となった。ノーベル生理学・医学賞については、この年に山極勝三郎とともに候補となったが、受賞に値しないとされて賞は授与されず、翌年にフィビゲルだけが1926年の賞に選ばれたという。
しかし死後、この説は否定された。1952年にヒッチコックとベルは、ビタミンA欠乏のラットに線虫が感染すると同様の病変が起こるが、標本を見直すと悪性腫瘍の像はないと報告した。フィビゲルが使った標本にも問題があり、癌ではない腫瘍を癌と取り違えていたとされる。今日、この受賞は誤りだったと考えられており、2010年にはカロリンスカ研究所の関係者が最大の失策の一つと評した。ただ、2004年の文書は、当時の一般的な知識に照らせば正当で、誤りは時間だけが指摘できたのだと述べ、同時代の判断の難しさを示すとした。フィビゲルは1928年1月30日、コペンハーゲンで心停止により世を去った。
同じ年に亡くなった人物
- Crystal Eastman (1928年没)
- ウルリヒ・フォン・ブロックドルフ=ランツァウ (1928年没)
- グスタフ・アドール (1928年没)
- Johan Olin (1928年没)
- リチャード・ホールデン (1928年没)
同じ地域に関係する人物
- Villy Sorensen (2001年没)
- フィリップ・シャイデマン (1939年没)
- ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン (2005年没)
- ハンス・クリスティアン・エルステッド (1851年没)
- ヴァルデマー (デンマーク王子) (1939年没)