HISTORICAL PERSON · 1231年没

ギヨーム2世・ド・ダンピエール

兄がブルボン領を継ぐ一方でダンピエールを相続した。フランドル女伯マルグリット2世と結婚して、ギヨーム1世として死ぬまでフランドルの摂政を務め、妻とともにシトー会の修道院を各地に創建した。

生涯
1231年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ギヨーム2世・ド・ダンピエールは、1196年に生まれ、1231年9月3日に没した、ダンピエール領主(在位1216年〜1231年)である。シャンパーニュ元帥でダンピエール領主のギー2世と、ブルボン女領主マティルド1世・ド・ブルボンの次男である。母のマティルドは再婚で、最初の夫とのあいだに娘がいた。1216年1月18日に父が亡くなると、兄のアルシャンボー8世がブルボン領を、ギヨームがダンピエール領とモンリュソンを、それぞれ受け継いだ。

1223年12月31日に、シャンパーニュ伯ティボー4世と和平条約を結んだ。同じころ、ギヨームは、フランドル女伯ジャンヌの妹マルグリットと、親しくなりはじめた。マルグリットは、1221年に、ガンに幽閉されていた夫のブシャール・ダヴェーヌを解放するため、姉のジャンヌの求めに応じて、結婚の無効に同意していた。ブシャールは、ローマで自分の主張を訴えたが、そのあいだに、マルグリットは考えを変え、ギヨームとの付き合いもあって、夫と別れることに決めたという。1223年に、ギヨームはマルグリット(のちのフランドル女伯、エノー女伯マルグリット2世)と結婚した。2人は血縁が近く、この結婚は醜聞を呼び、結婚が正当かどうかをめぐる争いは、何十年も続いた。1244年には、フランドルとエノーの継承戦争が起こり、1254年まで、中断をはさみながら続いた。ブシャールとのあいだに生まれた子らは、教会からは庶子とされたが、皇帝からは嫡出子とされた。ギヨームは、1231年に死ぬまで、「ギヨーム1世」としてフランドルの摂政を務めた。

1226年に、ギヨームとマルグリットは、サン・ディジエにシトー会の女子修道院を創建し、フランドル伯領内にも、フランヌ修道院など、シトー会の修道院をいくつもつくった。息子のギヨームとジャンは、生涯にわたって、サン・ディジエの修道院を支援した。ギヨームは、1231年9月3日に死去し、この修道院に葬られた。のちに、ブシャールの子らとギヨームの子らの継承の争いに、フランス王ルイ9世が1246年に介入し、エノーはブシャールの子らが、フランドルはダンピエール家の子らが継ぐと決めた。マルグリットとのあいだの子には、のちにフランドル伯となったギヨーム3世とギー、ダンピエール領主となったジャン、ルテル伯ユーグ3世と、次いでバル伯ティボー2世と結婚したジャンヌ、フランヌ女子修道院長となったマリーがいる。

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