伝記
マリア・フォン・ホーエンシュタウフェンは、1201年4月3日にイタリアのアレッツォで生まれた。ドイツの王家であるホーエンシュタウフェン家の王女で、父はローマ王フィリップ、母はビザンツ皇帝の娘イレーネー・アンゲリナである。父方の祖父は皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)で、皇帝フリードリヒ2世は従兄にあたる。
1208年、マリアは7歳で両親を失った。6月21日に父フィリップがオットー・フォン・ヴィッテルスバッハに暗殺され、その2か月後には母イレーネーが娘を出産した際に亡くなったのである。生まれた女児は育たなかったとされる。
マリアは幼いころから婚約していたとされ、1215年8月22日より前に、ブラバント公およびロチエ公の継承者であったアンリ2世と結婚した。この結婚の背景には、ホーエンシュタウフェン家とヴェルフ家の長い争いがあった。夫の父である公は、この争いを自分の利益のために使い、はじめは自分の娘マリーの婚約者だったブラウンシュヴァイク家のオットーを支持していた。しかしオットーの影響力が衰えると、陣営を変えたのである。
2人の間には6人の子が生まれた。長女マティルドは1224年に生まれ、アルトワ伯ロベール1世と結婚し、のちにサン=ポル伯ギー3世と再婚して1288年に没した。次女ベアトリスは1225年に生まれ、テューリンゲン方伯で対立ローマ王のハインリヒ・ラスペと結婚し、のちに再婚して1288年に没した。三女マリーは1226年ごろに生まれ、バイエルン公ルートヴィヒ2世と結婚したが、姦通の疑いをかけられ、1256年に夫の命で処刑された。四女マルグリットは1227年に生まれ、ヘルツォゲンタールの修道院に入り、1277年に没した。長男アンリ3世は1230年ごろに生まれ、1261年に没した。末のフィリップは幼くして亡くなった。アンリ3世の娘マリーはのちにフランス王フィリップ3世の妃となり、マリアはこれらの子孫を通じて、ヨーロッパのほとんどの王家の祖先になったともいわれる。
マリアは1235年3月29日、ルーヴェンで亡くなった。34歳の誕生日の5日前だった。その半年足らず後に夫アンリ2世が父の跡を継いでブラバント公となったため、マリアが公妃になることはなかった。夫はのちにある方伯の娘ソフィーと再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- アンドラーシュ2世 (ハンガリー王) (1235年没)
- Qul Ghali (1235年(推定))
- アンリ1世 (ブラバント公) (1235年没)
- クトゥブッディーン・バフティヤール・カーキー (1235年没)
- アンドロニコス1世 (トレビゾンド皇帝) (1235年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョルジュ・ルメートル (1966年没)
- Pierre-Joseph Van Beneden (1894年没)
- アルベルト・ボウツ (1549年没)
- アデライザ・オブ・ルーヴァン (1151年没)
- ドミニク・ピール (1969年没)