伝記
ヨハネス1世アクスーコスは、黒海南岸に栄えたトレビゾンド帝国の皇帝である。コムネノス家の流れをくむ一族に生まれ、この家はアンドロニコス1世の孫であるダヴィドとアレクシオスが1204年にコンスタンティノープルの陥落に乗じて黒海沿岸の東方の地を押さえ、トレビゾンド帝国の礎を築いたことで知られる。ダヴィドとアレクシオスはジョージア人の助けを得て、ポントス山脈と海の間の地を取っていった。
ヨハネスは、帝国を興した初代皇帝アレクシオス1世コムネノスの長男として生まれた。母の名は一次の記録に残っていないが、テオドラ・アクスーキナだったと主張する歴史家もいる。生まれた年は1214年以前とされ、1208年ごろと推定する説もある。父アレクシオス1世が1222年に亡くなったとき、ヨハネスはまだ幼い子供だったと考えられており、そのためか帝位は継げず、義理の息子にあたるアンドロニコス1世ギドスが皇帝となった。ギドスはヨハネスの妹と結婚していたとされ、ヨハネスは1235年にギドスが亡くなってから、ようやく皇帝の座に就いた。ギドスは初代の次の皇帝とされるが、コムネノス家の中で完全に受け入れられていたわけではなかったようである。
治世は1238年までの3年間とされる。6年だったとする記録もあるが、これは3年の誤りだとする近代の歴史家もいる。別に、最初の3年はギドスとの共同皇帝、その死後の3年は単独で統治したとする説もある。治世の記録は、死に関するものを除いてごく少ない。ヨハネスが銀貨を鋳造したかどうかも意見が分かれており、貨幣学の根拠から、別の人物が鋳造したと考えるほうがふさわしいとする研究者もいる。ギドスもヨハネスも領土を広げる遠征は行わなかったようだが、帝国の国境は初代アレクシオスが得た範囲のまま保たれたとされる。
ヨハネスは、ビザンツの貴族の間で広く流行したツィカニオンと呼ばれるポロに似た競技を楽しんでいて、落馬して馬に踏まれ、1238年に亡くなったと伝わる。このとき後継者候補は2人いた。イオアニキオスとマヌエルである。イオアニキオスは修道院に幽閉され、帝位はヨハネスの兄弟のマヌエルに受け継がれた。イオアニキオスをヨハネスの息子とみなす歴史家は多いが、年代記には両者の関係についての記述がなく、マヌエルとミカエルの兄弟だったとする主張もある。
同じ年に亡くなった人物
- ヘンリク1世 (1238年没)
- ユーリー2世 (1238年没)
- アル=カーミル (1238年没)
- ギヨーム・ド・ロリス (1238年)
- ジョーン・オブ・イングランド (1210-1238) (1238年没)
同じ地域に関係する人物
- アンドロニコス2世 (トレビゾンド皇帝) (1266年没)
- アレクシオス1世 (トレビゾンド皇帝) (1222年没)
- アンドロニコス1世 (トレビゾンド皇帝) (1235年没)
- Ayse Gulbahar Hatun (1505年没)
- アンナ (1342年没)