伝記
イレーネー・ラスカリナは、ニカイア帝国の皇后で、初代皇帝テオドロス1世ラスカリスの皇女である。母はアンナ・アンゲリナで、母方の祖父母は東ローマ皇帝アレクシオス3世アンゲロスと皇后エウフロシネ・ドゥカイナ・カマテリナにあたる。生まれは一一九四年から一一九九年ごろとも、一二〇〇年ごろともいわれ、妹マリアは、のちにハンガリー王ベーラ4世の妃となった。
幼い一二〇四年、十字軍によってコンスタンティノープルが陥落し、一家を含む貴族の多くは都を逃れて、ニカイアに新たな首都を築いた。これがニカイア帝国となる。イレーネーは、はじめ父に仕える将軍アンドロニコス・パレオロゴスに嫁いだ。結婚は一二一一年のことで、その直後にアンドロニコスはデスポテスの称号を与えられた。この称号は皇帝の娘婿に与えられたもので、帝位継承権を伴っていたが、これが最後の例となった。同じ年、アンドロニコスはレンティアナの防衛でラテン人の捕虜となったが、まもなく釈放された。翌一二一二年、彼は亡くなった。歴史家ゲオルギオス・アクロポリテスは、その死因を「愛の過度」と記している。
イレーネーはその後、一二一二年か一二一三年に、父テオドロスに後継者として指名されていた寵臣ヨハネス・ヴァタツェスと再婚した。ヴァタツェスは一二二一年十二月に義父が没すると、ヨハネス3世として皇帝になった。一二二一年ごろ、イレーネーは息子のテオドロス2世を産んだが、その後、狩りの最中に落馬して重傷を負い、二度と子を産めない体になった。子はこの一人だけだった。
アクロポリテスは彼女を、男勝りの性格で、だれに対しても王者のようにふるまった人と述べる。夫への影響力は大きかったという。ネストンゴスらの陰謀事件のあとは、軍の指導者としての自由なふるまいをやめ、皇帝にふさわしい常設の護衛を置くように夫を説得した。アクロポリテスは、賢く、統治に長け、まことに皇后にふさわしい威厳を示した女性と評している。学問の談話を好み、学者を深く敬ったことも記し、彼自身が日食の理由を尋ねられたとも書いている。
のちにイレーネーは修道院に入ってエウゲニアと名を改めた。エウドキアという名で伝えられる場合もある。亡くなったのは一二三九年の後半とも、一二四〇年の夏ともいわれ、夫の死より十四、五年早かった。ニカイアの人々は、彼女を手本として倫理観を高めたと伝えられる。アクロポリテスは墓碑銘も作った。
同じ年に亡くなった人物
- 後鳥羽天皇 (1239年没)
- アルブレヒト4世 (1239年)
- ヘルマン・フォン・ザルツァ (1239年没)
- ウラジーミル4世 (1239年没)
- アンリ2世 (バル伯) (1239年没)
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