伝記
ジョージ・イーストマンは、1854年7月12日に生まれ、1932年3月14日に没したアメリカの実業家、発明家で、イーストマン・コダックの創業者である。ロールフィルムを発明し、連続撮影の速度を著しく速めて、写真機の主流を変えた。このフィルムは、のちの映画の発明のための基礎技術ともなった。
ニューヨーク州にある、両親が1849年に購入した10エーカーの農場で、末っ子として生まれた。上には2人の姉がいた。ほとんど独学で学んだが、8歳になるとロチェスターの私立学校に通い始めた。父は1840年代前半からロチェスターで商業専門学校を営んでいたが、学校経営だけでは生活できず、二重生活を余儀なくされていた。1860年に父が健康を害すると一家はロチェスターへ引っ越し、1862年5月に父が脳障害で死去した。母は生活と息子の学費のために寮生を受け入れた。1870年、2番目の姉ケイティがポリオで亡くなり、ジョージは高校をやめて働き始めた。写真事業で成功し始めたとき、苦労して育ててくれた母に親孝行することを誓ったという。
1874年に写真に興味を持った。当時の写真はガラス板に感光乳剤を塗り、乾く前に撮影する方法だったが、3年の実験の後に乾式の写真板(乾板)を開発し、イギリスとアメリカで特許を取得して、1880年に写真の事業を始めた。1884年には基材をガラスから乳剤を塗ったロール紙に換える特許を取り、1888年にロールフィルム・カメラの特許を取得した。「あなたがシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります」という宣伝文句のもと、顧客がカメラを送り返して10ドルを払うと、フィルムを現像し、100枚の写真と新しいフィルムを装填して返すしくみで市場を開拓した。1888年9月4日にコダックの商標を取得し、世界最初のロールフィルムカメラ「No.1コダック」を発売した。1889年にはセルロースを使った透明な写真フィルムを発明し、1900年にはブローニーシリーズを1ドルで発売して、写真とカメラを一気に普及させた。競争が激しくなると、フィルム製造に重心を移し、高品質のフィルムを大量生産することで、他のカメラ製造業者を事実上のビジネスパートナーに変えた。
早くから慈善活動を始め、収益の一部を教育機関や医療機関の創設にあてた。1901年にはロチェスター工科大学の前身に62万5千ドルを寄付し、マサチューセッツ工科大学には、チャールズ川沿いの第2キャンパス建設を支援した。1918年にロチェスター大学のイーストマン音楽学校、1921年に同大学の医歯学部の創設資金を寄付した。1926年にはロンドンの歯科診療部門のために20万ポンドを寄付し、1931年に開院した診療施設は貧しい子どもたちに無料の歯科診療を提供した。ローマ、パリ、ブリュッセル、ストックホルムにも同様の施設を創設している。寄付の総額は1億ドル以上に及んだ。1925年に日々の経営から身を引いたが、死去まで経営に関与し続けた。
生涯独身で、趣味は旅行と音楽だった。1907年に母が亡くなると大きな衝撃を受け、1922年にはロチェスターにイーストマンシアターを開いた。晩年の2年間は脊椎管狭窄症と見られる症状に苦しみ、1932年3月14日、自邸で「友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?」という遺書を残して自死した。遺産はロチェスター大学に全額遺贈された。
同じ年に亡くなった人物
- ヌーレッディン・パシャ (1932年没)
- マヌエル2世 (ポルトガル王) (1932年没)
- ラモン・カザス (1932年没)
- カロリーネ・マティルデ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク (1932年没)
- Marcel Jacques Boulenger (1932年没)
同じ地域に関係する人物
- ヘレン・ケイン (1966年没)
- レスター・デル・レイ (1993年没)
- ジェイムズ・T・ファレル (1979年没)
- ヴァイオラ・デズモンド (1965年没)
- エイドリアン・シェリー (2006年没)