HISTORICAL PERSON · 1932年没

エドガー・ウォーレス

イギリスの作家。1910〜20年代に推理・スリラー小説で大人気となり、多産で知られた。晩年はハリウッドで映画『キングコング』の脚本も手がけた。

生涯
1932年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ビバリーヒルズ)
出生地
イギリス連邦(グリニッジ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

リチャード・ホラティオ・エドガー・ウォーレスは、1875年4月1日に生まれ、1932年2月に没したイギリスの作家である。1910年代から20年代にかけて推理・スリラー小説で一大人気を誇り、映画『キングコング』の脚本でも知られる。作品は5000万部以上を売り上げ、『エコノミスト』誌は「20世紀で最も多産なスリラー作家の一人」とした。

ロンドンのグリニッジで、俳優である両親の私生児として生まれた。母メアリーは芸名ポリー・リチャーズの女優で、助産婦の友人に紹介されたビリングズゲートの魚屋フリーマン夫妻に養育を依頼した。エドガーは幸せな幼年時代を過ごしたが、母は1878年頃には養育費を払えなくなり、夫妻が養子にした。12歳の時に寄宿学校へ入れられたが無断欠席を繰り返し、十代前半には新聞売り、牛乳配達、ゴム工場の工員、靴屋助手、船の調理師など多くの職に就いた。1894年には婚約を解消して歩兵隊に入隊し、登録名に『ベン・ハー』の作者にちなんだエドガー・ウォーレスを用いた。1896年に南アフリカへ配属されたが、軍隊生活を嫌って報道部隊に転属し、ようやく居心地のよさを見いだした。

1898年にケープタウンでラドヤード・キプリングに出会って大きな影響を受け、詩の出版を始めた。1899年に除隊して執筆専業となり、第2次ボーア戦争の間、最初はロイターの、1900年からは『デイリー・メール』紙の従軍記者となった。1901年にアイビーと結婚したが、最初の子は1903年に髄膜炎で急死した。ロンドンに帰って『デイリー・メール』で働き、稼ぐために推理小説を書き始めた。1905年には自ら出版社を立ち上げて『正義の4人』を出版し、郵便による宣伝で好調に売れたが、経営は悪化して手を引かざるを得なくなった。1907年には解雇され、家族は破産に近い状態となった。同年にコンゴ自由国を旅し、その経験を元にした連載が1911年に『サンダース・オブ・ザ・リヴァー』として出版されてベストセラーとなった。

1908年から亡くなる1932年までが最も多産な時期で、競馬紙の編集にも携わった。1921年に秘書のエセルと結婚し、同年ホッダー&ストートン社と整理された出版契約を結んで、中折れフェルト帽とパイプと黄色いロールス・ロイスのトレードマークで知られる、キング・オブ・スリラーとして宣伝された。1928年にイギリスで読まれた本の4冊に1冊はウォーレスの作品だと言われた。170冊以上の長編、18の舞台脚本、957の短編を書き、作品は28か国語に翻訳された。当時の作家の多くがアマチュア探偵を主人公にしたのに対し、警察官を主人公にした最初の犯罪小説家でもあった。1923年にはイギリス最初のラジオ向けスポーツレポーターも務めた。

自由党の熱心な党員として1931年の総選挙に出馬したが落選し、借金を背負って11月にアメリカへ渡った。ハリウッドではRKO社の脚本手直しに就き、ギャング映画『オン・ザ・スポット』で脚本家として最も成功したとされる。12月には、ゴリラ映画『キング・コング』の仕事を依頼されたが、1月末に突然頭痛に苦しみ始め、糖尿病と診断された。容体は数日で悪化し、肺炎を併発して、ビバリーヒルズで死去した。遺体は故郷に近いボーンエンドに葬られた。

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