伝記
ソルデッロは、ゴイトのソルデッロとも呼ばれる、13世紀のイタリアの吟遊詩人である。マントヴァ県のゴイトに生まれた。生年は1200年から1210年ごろとされる。オック語で詩を作ったロンバルディアの詩人で、イタリア出身の吟遊詩人としては最も名高かったという。
1220年ごろ、フィレンツェの居酒屋での乱闘に加わった。1226年には、ヴェローナのリッチャルド・ディ・サン・ボニファツィオの宮廷にいたが、主君の宮廷にいた女性クニッツァを連れ去った。彼女は主君の妻とも、娘ともいわれる。クニッツァの兄エッツェリーノ3世・ダ・ロマーノにそそのかされての行いだった。この醜聞のために1229年にプロヴァンスへ逃れ、しばらくそこにとどまったらしい。
1237年には、庇護者であったブラカスの死を悼む哀歌風の風刺詩を作り、キリスト教世界の君主たちに、この英雄の心臓を食らうよう呼びかけた。教訓詩『名誉の教え』や恋の歌、風刺詩も書いた。のちにアンジュー伯シャルルに仕え、1265年にはナポリへの遠征に同行したと思われる。1266年にはナポリで捕らわれの身となった。彼についての最後の記録は1269年のもので、プロヴァンスで没したとされる。ナポリで1269年に没したとする説もある。
ダンテは1305年ごろの論考『俗語論』でソルデッロをたたえ、1308年から1321年にかけて書かれた『神曲』の煉獄篇第6歌から第8歌にも登場させた。ダンテと詩人ウェルギリウスは、悔い改めが遅れた者や暴力で命を奪われた者の魂の中にソルデッロを見いだす。ウェルギリウスが故郷はマントヴァだと告げると、ソルデッロは彼を抱きしめて喜んだ。同郷の者としての愛着が二人を結びつけたのである。ソルデッロは三つの歌にわたって二人と歩き、「君主たちの谷」で居並ぶ王や公たちを教えた。ダンテはこの愛郷心を出発点に、イタリアの腐敗や暴力、有能な指導者の欠如を批判した。この登場から、ダンテはソルデッロが殺されたと考えていたと見られるが、詩人自身の推測にすぎないかもしれない。
後世の文学にもこの名は現れ、1840年にはロバート・ブラウニングが詩『ソルデッロ』を発表した。オスカー・ワイルドも1881年の詩で彼をたたえ、エズラ・パウンドも『詩篇』で触れている。サミュエル・ベケットの1951年の小説にもごく簡単に名が出る。
同じ年に亡くなった人物
- テレサ・デ・ポルトゥガル (レオン王妃) (1250年没)
- ピエール1世 (ブルターニュ公) (1250年没)
- エウドキア・ラスカリナ (1250年(推定))
- マテイ・ニノスラヴ (1250年)
- エーリク4世 (デンマーク王) (1250年没)
同じ地域に関係する人物
- ジュリオ・ロマーノ (1546年没)
- フランチェスコ3世・ゴンザーガ (1550年没)
- バルバラ・フォン・ブランデンブルク (1423-1481) (1481年没)
- ルドヴィーコ1世・ゴンザーガ (1360年没)
- ロレンツォ・コスタ (1535年没)