HISTORICAL PERSON · 1360年没

ルドヴィーコ1世・ゴンザーガ

マントヴァの僭主でゴンザーガ家最初の支配者。前任の僭主を追放してカピターノ・デル・ポポロの地位に就いた。

生涯
1360年没
死亡地
イタリア共和国(マントヴァ県 / マントヴァ)
出生地
イタリア共和国(マントヴァ)
出典
世界地図
イタリア共和国(マントヴァ県)

伝記

ルドヴィーコ1世・ゴンザーガは、1268年に生まれ、マントヴァでゴンザーガ家として最初の僭主となった人物である。ルイージとも呼ばれる。父はグイード(1318年没)、祖父はアントーニオ(1283年没)である。若いころは、1313年にモデナ、1318年にマントヴァ、1319年にパルマで、それぞれ市の行政官であるポデスタを務めた。

1328年当時、マントヴァは、皇帝から市の代官に任じられたリナルド・ボナコルシと、その一族が支配していた。リナルドは「スズメ」とあだ名され、一族とともに思うままに振る舞い、敵を容赦なく排除していたという。ルドヴィーコはリナルドの側近の一人で、政治にも実務にも長けていた。リナルドの子フランチェスコが、ルドヴィーコの子フィリッピーノを侮辱したことをきっかけに暴動が起こり、ゴンザーガ家が権力を握る機会になったといわれる。ルドヴィーコはヴェローナのカングランデ1世・デッラ・スカーラの支援を受け、娘婿のカステルバルコ家のグイレルモの助けも得て、8月16日にリナルドを倒した。リナルドは追放されたとも、殺されたともいわれる。8月25日には、市と民衆の総指揮官として歓呼で迎えられ、僭主の地位を意味するカピターノ・デル・ポポロの座に就いた。後継者を自ら指名する権利も得たとされる。ゴンザーガ家はこの時期、一族の最初の紋章にあった三頭の雄羊を、皇帝派の色である黒と金の三本の帯に改めた。

翌1329年、皇帝ルートヴィヒ4世からマントヴァの皇帝代官に任じられ、1335年にはレッジョの領主にもなった。1339年2月21日にはパラビアーゴの戦いが起こり、ルドヴィーコは、ミラノのヴィスコンティ家の軍を助けるために兵を送った。1340年には、スピネッタ・マラスピナの娘ジョヴァンナ・ノヴェッラ・マラスピナと3度目の結婚をした。1342年にはフィレンツェに攻められたピサの救援に向かい、1349年にはウェルギリウスの墓を訪れたペトラルカを迎えた。ミラノのベルナボ・ヴィスコンティが数か月にわたって包囲した国境のカスティリオーネの防衛でも戦った。

ルドヴィーコは1360年1月18日にマントヴァで亡くなり、市内の大聖堂に葬られた。長命であったと記される。3度結婚し、多くの子がいた。リチルダ・ランベルティとの間には、後を継いで僭主となったグイード(1290年-1369年)、傭兵隊長のフィリッピーノ(1356年没)、ノヴェッラーラ領主のフェルトリーノ(1374年没)らが生まれた。パンドルフォ1世・マラテスタの娘カテリーナ・マラテスタとの間には、パラッツォーロ家の祖となったコッラード(1340年没)や、傭兵隊長のフェデリーコ(1376年没)らが生まれた。3人目の妻との間にはアッツォーネ(1412年没)らがいたとされる。ほかに3人の庶子もいた。

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