伝記
アンドレ=ギュスターヴ・シトロエンは、1878年2月にパリで生まれ、1935年7月3日に没したユダヤ系フランス人の実業家で、フランスの自動車会社シトロエンの創業者である。パリのラフィット通り44番地で生まれた。
父レーヴィ・シトルーンはポルトガルから移住したユダヤ系オランダ人のダイヤモンド商で、母マズラ・クラインマンはポーランドのワルシャワ出身の東欧系ユダヤ人であった。5人きょうだいの末っ子として生まれた。姓の由来は曽祖父にさかのぼる。曽祖父はオランダでかんきつ類を扱う商人で、1810年にナポレオンがオランダ王国を併合して、姓のなかったユダヤ系オランダ人が姓を選ばされた際に、客から呼ばれていた「レモンの男」というあだ名を名乗った。のちに祖父が宝石の取引に転じ、姓を少しずつ変えてオランダ語で「レモン」を意味する綴りになった。一家は1873年にアムステルダムからパリに移り住み、姓をフランス語風のシトロエンに改めた。
1884年、アンドレが6歳のとき、南アフリカのダイヤモンド鉱山への危険な投機に失敗した父が、窓から身を投げて亡くなった。家が破産したわけではなかったが、父は破産の重圧を背負っていた。母がダイヤモンドと真珠の商いを引き継いで子どもたちを育て、一家はラ・ファイエット通りへ移った。子どもたちは完全にフランス式の教育を受け、フランス市民であると自覚して育った。アンドレはリセ・コンドルセに入り、科学と技術で優秀だった。9歳でジュール・ヴェルヌの作品に出会い、生涯にわたって影響を受けたという。1889年の万国博覧会のためのエッフェル塔の建設に刺激されて、技術者であり実業家になることを志した。1900年にエコール・ポリテクニークを卒業したが、成績は芳しくなかったとされ、国家に仕える道は難しかったが、それは本人には都合がよかった。
第一次世界大戦中はフランス軍の技術将校となったが、中途で兵器生産に転じ、砲弾をはじめとする武器を流れ作業方式で大量生産して成功した。その利益で自動車業界に参入し、1919年にシトロエン自動車会社を設立した。アメリカのヘンリー・フォードのように、ヨーロッパで大衆車を作り、できるだけ多くの人が自動車を持てるようにすることを望んだ。会社は大衆車の大量生産で急激に業績を伸ばし、1930年代初期にはフランス第1位、世界第4位の自動車会社になった。前輪駆動の自動車を最初に作った人物ではないが、前輪駆動のシトロエンの車は、この方式を世に広めた。技術者としてよりも、経営手腕とカリスマ性で名を成し、ヨーロッパやアメリカの技術を会社に取り入れた。発売時の大規模な宣伝でも知られ、「前へ」という標語は会社の象徴となった。
しかし、並外れて大きな規模を好む性格と事業の急激な拡張が祟って、1934年に経営破綻に陥り、タイヤメーカーのミシュランの資本を受けることになった。経営から退いたアンドレは、翌1935年、失意のうちに胃癌で死去した。私生活ではギャンブル好きで知られ、大胆な事業拡張もその性格が影響したとされる。作曲家モーリス・ラヴェルとは親しい間柄であった。
同じ年に亡くなった人物
- フリードリッヒ・オットー・ショット (1935年没)
- オーギュスト・エスコフィエ (1935年没)
- メレティオス (メタクサキス) (1935年没)
- エリナー・アボット (1935年没)
- パナイト・イストラティ (1935年没)
同じ地域に関係する人物
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- フィリップ=アントワーヌ・メルラン・ド・ドゥーエー (1838年没)
- アンリ・ミルヌ=エドワール (1885年没)
- Louis-Francois-Clement Breguet (1883年没)
- アルフレッド・モカン=タンドン (1863年没)